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人様の容姿を持ち出すということは、自分を生贄にしているということ
なんだか最近良いことばかりが続いております。良いことばかりが続いたと喜んでいると、今までは不幸だったんだねと妙な解釈をする方がいらっしゃるのですが、何もない穏やかな日々を過ごしていたところに良いことが起こり、願いが叶い、母からお洋服を買って貰った、ということでございます。いかがお過ごしでしょうか。
発した言葉って相手が思いもよらない方向で捉えていることがあるじゃないですか。もちろん言葉の捉え方の多少のズレってしかたのないことで、そんなズレを私たちは言葉で取り繕うこともあれば、別にズレたままでもいいじゃないかと許容範囲内で泳がし、泳がされるということもあるわけです。
でもまれに捉え方が逸脱していて、ズレがもう言葉では埋められないほどになりますとストレスでしかありませんから、それなりの対応をしていくことになるのでしょう。
それなりの対応といえば、ちょっと前にあったアカデミー賞授賞式でのビンタ事件。これは司会者が俳優の奥様の容姿をネタに使い、その内容に俳優が大変ご立腹になられ、舞台上で司会者に盛大なビンタをお見舞いしてやった、ということでございました。
司会者はまさかこんなに相手が立腹するとは思っていなかったでしょうし、俳優さんも自分の妻がこんないじられかたをするとは思っていなかったわけで、捉え方の違いで起きた大惨事ということでございましょう。
でもね、他人の容姿を話題にしてしまうのはやっぱりまずかった。笑って聞き流してくれる人も世の中にはいるのでしょうけれども、リスクが高すぎるのです。「身長170cm以下は人権ない」の時もそうでしたが、人様の容姿を持ち出だしてウケを狙うということは、そこに大炎上の自分を生贄にしている、ということを覚悟しておかなければなりません。
とは言え、舞台に上がってまでビンタっていうのには、はやり違和感がありました。ビンタ直後に流れてきたSNSでは男らしいとか、家族想いとか、良い印象で溢れていましたけれども…。俳優さんの好感度が強すぎてちょっとやそっとじゃイメージが崩れないということだったのかもしれません。
この司会者の発言が愚かだったのは確かなのですが、街中や飲み屋でもあるまいし、世界中の人が注目する晴れやかな舞台での暴力沙汰ですから、どう考えても賞賛されるのはおかしいのです。
俳優さんが殴らずに相手を報復する方法なんて簡単だと思うのです。だって恐らく溢れるほどのお金があるのですから、自分の手を汚さずできることがたくさんあるはず。
そもそもこれほどの好感度がある方なら、弁護士雇ってちょっと文章作ってもらって、妻がアカデミー賞授賞式で侮辱を受けたという内容を粛々とTwitterに呟いておけば色々な活動家が参戦してくれて、ほっておいても司会者へのネット私刑的なことが起こっていたのではないでしょうか。
まあ、そんなことはよく考えれば俳優さんもわかっているでしょう。この方が今後鍛えるべきことはカッとなって殴ったり、暴言吐いたりしない理性ということですかね。感情で動くとろくなことがないのですから。
それから今回の司会者もそうなのですが、人との距離感を読み誤るとろくなことがありません。このくらい言っても大丈夫だろうという距離感の甘えがこのようなトラブルになりがちなのだと思うのです。
自分が誰かと距離を縮めたいと思う時は、相手も縮めたいという気持ちでいてくれているかどうかまで読んで動かないと。私も普段から気を付けているのですが、つい感情が先走ろうとしてしまいますので、そんな時は心をぶん殴っています。
4月から新しいことを始め、時間の使い方に多少苦戦をしております。こちらの更新はよりゆっくりになる予感でおりますが、そのうち私の至らなさなどで落ち込みますので、その際にはそっと応援していただきたく、お付き合いいただければ幸いです。最後までお読みいただきありがとうございました。
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