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自画像2020

 穂の国PLATの戯曲創作講座2020に参加して書いたものです。全然戯曲の形式ではないですがちょっと、というかかなり苦しかったのですが書かなくては前に進めないような気がして書いたものです。

 雪国の温泉街の駅、観光地ではあるが今は夏の終わりなのでたいして人出はない。駅前の喫茶店。

秋は鼻がむずむずするし目もしょぼついてキツイ。
私は年中花粉症なのだ。しかし秋は特に辛い。
内科で検査したらいろいろアレルギーがあったので年中抗アレルギー薬を飲んでいる。それでも症状が抑えられないくらいなのだ。
薬の作用はおもしろい。それで感じ方がかわったりする。低容量ピルのヤーズを飲んでいると異性に対してドキドキしたりどぎまぎしたりしなくなる。ときめきはなくなるが平静で平和ではある、おかげで助かった時期もあったけれど、やはり少し人生の楽しみをフイにしているような感じもあり、よしあしである。一年くらい前から通うのが面倒だからやめてしまっている。
睡眠外来に行ってリタリンをもらったことがある。あれはすごく効いている感があった。すごく熱中して勉強したりできて楽しく快活な気分になった。しかし薬の効果が切れたときの気分のひどさがあまりにもみじめなのでやめた。


私は母に自分の書いた文を見られたくない。
家はエロ映画のパッケージやエロマンガにあふれていた。
わたしの家はエロメディアのパッケージに溢れていた。
父はピンク映画に出演していて、AVやエロ系のVシネマの監督をしていて、母はその脚本を書いたり、衣装をつくったりしていた。(それらをやりながら二人ともずっとアルバイトもしていた。子供の頃から毎晩毎晩家では飲み会だった。)

そうでありながら、いやそうであるからこそ私は家で、母のまえでは子供でいなければならないと、感じてきた。大人の女になるということが母から嫌われることのようにおもわれて見捨てられることが怖くて女になることはできなかった。
私が女であることを父も母も喜ばないと感じてきた。

先日女性用風俗を利用した。
現在私は29歳である。
私は2日に一回くらいのペースでオナニーをする。
不随意の動きに惹かれる。
ニンゲンは自分自身の意志ではない動きをする。
思いもかけなかった動きをする。勝手に動いてしまう。
悪に、魔に踏み込むような、人間でなくなるような感覚に惹かれる。
人間は人間以上である。自分自身ととらえている範囲は自分の単に一部である。
私は男性と恋人関係になったことがない。
どれだけ、恋にあこがれたろう。
しかし踏み出すことができなかった。
関係を結ぶのが怖かった。
セックス自体はそれほど怖くなかった。
しかしその前日には熱が出たといって仕事を休んだ。
予約していたホテルに行き、フロントで鍵をもらい部屋まで行き、相手が来るのを待つ。待つ間やはり不安になる。相手がきて、少し話した。話すあいだどうしても照れ隠しのような感じで変に笑ってしまう。
シャワーを浴びて、ローブを着て部屋に戻りどうしたものかわからず、そのままどうしたらいいかわからないと言った。
「こっちへ来て」と言われベッドに入った。
関係ができて、首輪を繋がれることがなによりも怖かった。
次の日はぜんぜん平気で仕事に出かけた。
行為はいいものだと思った。楽しいものだと思った。ぜんぜん世間的なイメージのどろどろとしたものは感じなかった。だけどもこれが惚れている相手だったらどんなにいいだろうとは思った。人生に一度でも芯から惚れている相手と身も心も愛し合ってみたい。喉から手が出るほど青空のようなホームスイートホームが欲しい。けれどもそれは私には手に入らないもののようにおもわれた。
私はさびしかった。

10年前
大江戸線上の商店街のある駅の町、
夜中、中華屋
ラーメン、餃子、チャーハンなどが運ばれてくる。
テーブルには5人、
A(小柄な40男、監督)、
O(60代の白髪にヒゲの男)、
S(赤ら顔の50代の男)、
K(目のギョロリとした恰幅のよい40代半ばの男)、
M(30くらいの女性)、
R(19歳、Kの娘)
仕事をおえてちょっとした乾杯をしている。

A​ じゃあま、おつかれさまってことで、乾杯。
一同​乾杯。
O いや、くたびれた
S​ いや、なんというか、ね。
O​ Sちゃん今日の具合はどうよ
S ​どうもこうもないっすよ、もう。Oさん
A ​このあいだのがCS版で放送されたんですよ、それで観た人にどうすればあんなにリアルに撮れるんですかってきかれちゃったんだけど、まあ、セックスのドキュメンタリーだからね。 ほんとう、だからアドバイスのしようもないっていうかね。
K​ 評価されたんならいいじゃないの
A ​まあ、そうなんですけどね。
K​ Mさんチェック用のモニターをずいぶん食い入るようにみていたじゃないですか。どうでした、こういう現場は。
M​ バイトで風俗のキャストさんのヘアメイクもしていたりするんです
K​ へー、そんな仕事あるんだ

その日の昼前
マンションの一部屋、スタジオの台所

『ツァラトストラかく語りき』をよんでいた。
「人間は人間を越えて超人となるのだ。」
すぐとなりの部屋では男優と女優を撮影している。
朝から一日かけて一本のAVをつくるのだ。
病院という設定のベッドで行為をする男女のまわりに音響の音を拾う棒をもったスタッフ、カメラをもった監督、コードが絡まないようにうしろでコードをさばく助監督、照明、途中途中でアップを映すときに女優さんの顔をととのえるヘアメイクさんが囲んで撮影をしている。
「そろそろ弁当を買いに行ってくれる?」と卵の白身を洗面器で混ぜていた父に言われ娘は商店街に弁当屋をさがしに行く。

商店街のたいがいは端のほうに昔からあるような弁当屋はある。駅前にオリジン弁当もあるけれど、撮影現場にでているような人たちは基本オリジン弁当は食い飽きているのだから、できれば町の手作りの弁当屋の弁当を買っていきたい。
安すぎず高すぎずだいたい500円前後の弁当を何種類か選べるようにバリエーションを考えて注文する。
待っている間またすこし本を開いてみると「与える得」
について書いてある。
「一切の神々は死んだいまやわれらは超人が生きんことをこいねがう」
あたたかいお弁当をかかえてスタジオにもどる。

魚の弁当を年かさのスタッフ2人は喜んでみせた。父から脂っこくないメニューの弁当も買ってくるように言われていたのでその通りに買ってきたのだ。

男優のひとりが中折れしてしまったとかで撮影が一時中断した。
男優はなんとか盛り返してくるように女優さんとパフォーマンスではない行為を始めた。そのときのAV女優さんの表情はパフォーマンスをしているときよりも可愛らしかった。

これらはちょうど大学を中退したころだった。

撮影現場のトイレの中でメールを打った。
私をその現場に行かせてください。とこのあいだ助監督をしていたMさんに。まえから憧れていたその人がMさんがこんど入る現場にいるということがわかったからだ。
私は自分が恋をしていることに確信が持てなかった。確かめてみたかった。会ってみたかった。そんなことはありえないと思っていた。実際いまでも訳が分からなくなる。その頃私がどう思われていたのか私にはわからない。
花道を通り過ぎる俳優のその真剣すぎるような表情に私は引きつけられた。吸い込まれるような気がした。精悍な顔と体をもったその俳優が忘れがたくて、もう一度彼をみたい、もう一度みたいと劇場に通っていた。
あの雨の日にあなたがとても好きだと、あなたはとても美しいと伝えられたときの感動はいいようがなかった。
あまりにも感動して世界が輝いて時間が止まるような気がした。
考え直せば私は恋をしていたのである。そんなことわかるだろうと思われるかもしれないけれど、私は私が恋をしていることを認めるのが難しかった。
その頃私は吉祥寺のカラオケ屋で深夜にアルバイトをしていた。忘年会の時期だけの期間限定のバイトで時給は良かった。一人暮らしを始めるための資金を一気に貯めるためだった。
時間の終わりを告げにいくと扉を開ける瞬間にキスしようとしていた男女が身を離したなんてこともあった。トイレの洗面台にぶちまけられたゲロをハイターで掃除したりもした。
休憩時間に食べる塩キャベツが憩いだった。
バイトの休憩中に彼からmixiのメッセージの返事が届いた。舞い上がるような気分だった。こんなに嬉しいことがあるだろうかという激しい幸福を感じた。

そういえば学校にもまだ入らないころ、名前ももう忘れてしまったが劇団にやさしいお兄さんがいた。小さかった私は無邪気に大きくなったら彼と結婚したいといっていた。しかし彼はいなくなった。私にはうまくそのことが飲み込めなかった。いまでも飲み込めない割り切れない気持ちがわだかまっている。見捨てられたような気持ちが拭えないままある。
思い返すと彼はどこかそのお兄さんにイメージが似ていたかもしれない。
今もなお彼に会いたい、こいしくて仕方がない。彼に愛してもらえたらどんなにいいだろうと思う。
手紙を書こうかと考える。だけども、どんな手紙を書いたらいいのだろう。
どこまで正直なことを書くことが許されるのだろう。
10年もたってしまったのに時間が流れていないような気がする。けれど随分会っていないのでその間にひどく彼が年を取ってしまっていたらどうしようとか、自分は勝手に想いを膨らませてしまったイタイ女なんじゃないかといたたまれない気持ちになる。中島みゆきの『化粧』みたいな気分に浸ってしまう。ばかだね、ばかだね、ばかのくせに、ああ、愛してもらえると信じていたなんて。

会いたいということがどうしてこんなに大変なのだろう。
素直に会いたいと伝えてしまったらどうなるのだろう。
私はいったいどうなりたいというのだろう。
そうなりたいに決まっているのだけれど、そうしたらどうなってしまうのか分らない。それに、受け入れてもらえないかもしれない。愛してもらえないかもしれない。それは想像するだけでとてもつらい。

けれどもいつまでもこうして人生を停滞させていていいのだろうか。と考える。本当はどうしようもなく愛情を求めたいのではないか私は。
このまま年を取っていくなんていやだ。もったいない、体が、生きていることが無駄みたいだ。

愛情を求めればどやしつけられてきたけれど、彼は私を叱らないでくれるだろうか。
愛は贅沢品だろうか。愛は演技だろうか、愛は思い込みだろうか。
それだってもうどうだっていい、とにかく私を抱きしめて欲しい、私は安心して落ち着きたい。あなたが私になだれ込んできたように感じたのが本当だったと確信したい。私はあなたに会いたい。

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