震災のあったあの日から(4)
結局、上司は本当に店が落ち着いてきちんと開店するまで来ませんでした。
それまでどうしていたかと言うと、まず、保険のための写真を撮った後、壊れていない、販売できそうな商品を集めました。
二階は天井がはずれていたりして、そもそも入ること自体が危険だったので、そこは後回しにして、とにかく一階、特に食品類の整理を始めました。
何はともあれ、必要なのは食料品でしたから。
あと、早いことに、すでに食料品の納品が来ていたのです。
ヤマザキパンのパンと、伊藤忠の卵だけでしたが、私は今でもこの二つの会社の商品が届いたのを忘れません。
トラックが荷受け場に入ってくるあの瞬間も、ずっと覚えています。
ちょっと物流がだいぶ落ち着いてくると、商品の在庫がだぶついて、もういらないかな……と思ったりもしましたが、本当にずっと同じぐらいの時間に同じぐらいの量を届け続けてくれて、頼もしく感じました。
発注システムはもちろん生きていないので、どれだけの量が必要かこちらも読めないし、向こうもわからないという中で届けてくれたのは、本当にありがたかったです。
最悪余って賞味期限がきれそうなものは、従業員で持ち帰ったりしていました。
お金は、全品百円にしていたので、品数に合わせて百円入れていました。
食べ物が絶えず供給されるというだけで、心の安定に一役かってくれていたと思います。
私の場合ではありますが、電気は約一週間ほど、水道はそれよりもかかって二週間弱ぐらいで復旧したと思います。
ガスはプロパンだったので、わずかについたのですが、壊れて下にたまったガスだと燃え方が不完全になり爆発の危険があるから触らない方が良いと見たので、ガスは点検してもらうまで触りませんでした。
だからガスは、落ち着いてから使い始めたので、一か月ぐらいたっていたかもしれません。
この中で、その場で食べれる食べ物があるというのは、とても助かりました。
ただ、やはり時が経つと、寒いのもあり、温かい食べ物が恋しくなり、同僚にもらった温かいおにぎりなどはとても身に染みました。
電気が復旧するまでの間、暗い中での作業は難航し(スーパーの中は窓がなく、日が差し込まないので)、夜は部屋が暗くなって何もできず、また真っ暗な中眠るので不安に眠る生活を続けていました。
信号もつかない通りというのは、やはりどこか不気味なものでした。
それが、夜に突然外が明るくなって、電気がついたんだ!と復旧を嬉しく感じたのを覚えています。
命綱だったツイッターもできるし、テレビの情報も受け取れるようになったし、夜に家で何かできるのは助かりました。
電子レンジも使えるから温かいものも食べられるので、食べられるもののバリエーションも増えましたしね。
電気が使えるだけで、各段に生活できるレベルが跳ねあがるのを感じました。
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