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震災のあったあの日から(7)

 きっと人は語りながら、誰かと共有しながら、自分の中の思いを整理していくのかもしれない、とも思いました。
 逆に、語れなくて心の奥にしまっておくこともありますけど。
 私は内陸だったので津波はありませんでしたが、津波のあった地域では、身近な友達、同僚が目の前で流されたという話も聞きました。
 また、津波のあった地域にいた知り合いが流されてしまった、というのも。
 私の直接の知り合いではありませんが、身近にそういう話がたくさんあったことは、自分もそうなっていただろうという恐怖と、また私もこの地に住んでお世話になった人々、愛着のできた土地が破壊され悲しみに包まれることは心を揺さぶられました。
 きっとこの思いは、ずっと残り続けるのだろうとも思います。
 そして、それは私だけではない他の被災した人々も。
 私も、津波の心配はなかったとはいえ、一番大きく揺れた場所にいました。
 建物は崩れたりヒビが入った場所もあり、倒壊の危険がある場所もありました。
 実際に地震が起こっている時は、ただ無我夢中で逃げていましたが、振り返るとすぐ隣にある死の恐怖でした。
 逃げている時、天井から照明は降ってきたし、物は倒れて散乱していました。
 それを見ると、私はそれに潰されたり当たったりして死んでいた可能性もあったのだと。
 後から同僚に、あそこにいなくて良かったね、心配したよと言われて、それを実感したりもしました。
 本当に、生きていることは運が良かった、一歩間違えれば私は死んでいたんだ、ということを強く実感した出来事が震災でした。
 そして、生きていることの幸運もとても感じるようになりました。
 この幸運への感謝と、死への恐怖も、ずっと抱えていくのだろうなとも思います。
 でも、それがわかったことは、私にとって良かったと思います。
 それは、私を大きくしてくれたと思いますから。
 この後、落ち着いた頃に私は辞令が出て、東北の地を離れることになります。
 愛着が出て、まだ震災の傷が癒えきらない、やることがたくさんあった地を離れるのは少し心残りがありましたが、新しい地へ行けることは楽しみでした。
 もともと、新しい地へ行けるのが良くて総合職でいましたし。
 新しい地でも地震の恐怖はあるのだろうと思いますが、この経験したことも生かしていけたらとも思います。
 子どももできて、また必要なものも変わりましたし。
 生きることを、考えていきたいですね。
 そして、これによって私の東北の地での物語は終わりとなります。
 おつきあいいただきまして、ありがとうございます。
 そして、エッセイシリーズもこれで終わりとなります。
 これらを、後で本にまとめてみたいと思っています。
 本にまとめた後は、この記事たちは削除いたしますので、ご了承ください。
 いいねくださった方、見てくださった方、ありがとうございました。
 またどこかで会えることを願いまして。

と書いたのですが、まだ書きたいことが出てきまして、もう一個書きます。
自分の出産の話です。
それを書き上げたら終わりとなります。

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RAN
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