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震災のあったあの日から(5)

 水道が使えないのはやはり痛手でした。
 お風呂が入れないので、体をふいて過ごす日々をしばらく過ごしました。
 この働いていた時、正直あまり衛生的な生活をしていたとは言えないのですが、それでも服の洗濯もできないし、風呂も入れないし、近くにそういうことができる店もあるわけでもないので、正直困っていたと思います。
 でも、そのことについてはあまり記憶がないんですよね。不思議です。
 ペットボトルとか、トイレは少しだけタンクに残っている水があったから、それを使っていたのかもしれません。
 一週間ぐらいだったから、不便を感じる前に水が復旧したのかもしれません。
 ただ、食堂で水が出なくて困っているとか、自分のところはもう復旧したとかいう話が出ていて、水の復旧を心待ちにしていたら、同僚が水をやかんに入れて分けてくれて、少し助かったのは覚えています。
 しかし、その次の日には復旧したので、実はあまり意味はなかったのですけど。
 水をいただいて、次の日にやかんは丁重にお返ししました。
 でも、その心が嬉しかったです。
 水と電気が復旧してからは、一気に元の生活に戻っていきました。
 やはりライフラインというのは、本当に命をつなぐものなのだと実感しました。
 職場のスーパーも電気が復旧すると、レジシステムなども復旧するので、ほぼ通常営業になっていきました。
 その間に、食品の販売はしていたし、店の整理もしていたので、店を開けることはスムーズにできました。
 ただ、食品フロア以外は損傷が激しかったので、しばらくは食品フロアのみの営業ではありました。
 その間、雑貨担当や衣服担当の方も食品を手伝っていただけていたし、まだまだ商品を売ることだけに集中できたので、とても楽しかったことを記憶しています。
 面倒なクレームとかもなかったし、本当に純粋に楽しく仕事をしていたと思います。
 そのぐらいで、パートさんもみんな落ち着いて出勤できるようになってきたし、主任も戻ってきました。
 ガソリンの供給が不安定で、車で通っている方たちはとても大変そうでしたが。
 というか、ほとんどが車で通っている方たちだったので、大変でしたね。
 ガソリンスタンド、しばらく長蛇の列でしたね。
 歯抜けだった売り場も、だんだんと商品が戻ってきて、商品も、商品部の配分だけで届けられていたものが、だんだんとこちらの発注を受け付けてくれるようになり、本当にだんだんと元通りになっていきました。

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