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忠臣蔵①

今週末の大阪は結構気温が高い予報。で、ちょっとお菓子も戸惑いそうですが・・・。

これも霜が降りています、青系のものは珍しい?

旧暦12月14日は忠臣蔵赤穂浪士の討ち入りの日として知る人ぞ知る日。今の70代くらいの方は当然のようにご存知でしょうが、アラフィフのわたしは、歴史好きなこともあり知ってはいるものの、同年代の友人達と創作物を話題にしたことは皆無、20代くらいの方になると何それ?という方が大半かと思うのですが、たまにお茶のお題にされることあるので、毎年少しずつこの話をしていきたいと思います。

忠臣蔵とは、江戸時代元禄14(西暦1701)年、将軍綱吉の時代に江戸城松之廊下で起きた赤穂藩主浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)による高家肝煎吉良上野介義央(こうけきもいりきらこうずけのすけよしお)への刃傷(にんじょう)事件から想を得た創作話。これだけ漢字が出てくる時点で読んでいただけなさそうですね・・・。赤穂は今の兵庫県の一部の地名で、塩で有名です。

刃傷、つまり赤穂のお殿様が吉良さんに刀で切りつけてしまうのですが、将軍様のおわす江戸城でとんでもない大罪を犯したと切腹を命じられます。吉良側がお咎め無しだったことに、赤穂藩の家臣は不服で、赤穂浅野家はその後取り潰しとなったこともあり、もう失うものは無い、自分たちの手で主の仇を討とうと計画し、吉良邸に討ち入り首を取ります。この計画の主導者が元浅野家家老大石内蔵助(くらのすけ)、彼と共に仇討を決行した者が46名、なので合わせて赤穂四十七士、もしくは赤穂藩は取り潰しになって藩士たちは浪人になったので、赤穂浪士などと呼ばれます。47人それぞれが物語を持っていて、そういったことも描きつつ、仇討を果たすまでの話が忠臣蔵です。この浪士たちも仇討後、切腹を命じられます。

元禄時代の実際の事件の後すぐに、歌舞伎や人形浄瑠璃でこの事件を彷彿とさせる演目が上演され、現代でも仮名手本忠臣蔵として上演されています。忠臣蔵というのは、主家が潰れても恩を忘れない忠臣がたくさんいることからついた呼び名だという説も。ひと昔前までの日本人の心に訴える逸話がてんこ盛りで大人気でした。ドラマや映画ででも30年くらい前まではそれなりによく題材となっていたと思うのですが、価値観の変化と共に受け容れられなくなってきたと思われます。が、その中の有名な逸話などを少しずつ、現代の感覚も絡めつつ、毎年書いていきたいと思います。よろしければお付き合いを。

ちなみに今もある赤穂城近くでは、毎年討ち入りの12月14日に赤穂義士祭が開催されているとか。今年の内蔵助役は中村雅俊さんだそうです。

11日から14日まで2004年に松平健さんが主演したドラマ「忠臣蔵」がBS朝日で夜に放送されます。これは数ある忠臣蔵ドラマの中でもかなりの王道、かつ秀作でおススメ。録画して、年末年始にでもよかったらご視聴を。

また裏千家の月刊誌「淡交」は、カレンダーが付録の1月号が15日発売予定なので、12月号が店頭で買える期間は半月くらいしかありません。師走のお忙しい時でしょうが購読されている方は、お気をつけを。

今日の菓銘は「霜冴ゆ(しもさゆ)」。
今日は漢字が多くて、中々読んでいただけないかもしれません。
ここまでたどり着いてくださった方、ありがとうございます!

お正月準備も少しずつ始まっているでしょうか。買い漏れなく迎えられますように。




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