青森県の暴力団情勢

現在の暴力団情勢

・概況
2018年末の青森県の暴力団情勢は、団体数不明、構成員等約210人(準構成員含む)である。
団体別構成員等は山口組20人、神戸山口組80人、稲川会90人、住吉会20人である。
※出典:①②

・全国における割合
青森県の暴力団構成員等は、全国の0.7%程度を占めている。青森県の人口、GDPが全国に占める割合と比較すると、暴力団構成員等が比較的少ない地域であると推察される。

青森比較

暴力団勢力の推移

・構成員等
青森県の暴力団構成員等は、おおよそ1400人をピークとし(時期未詳)、その後1970年~1990年頃まで700~900人程度で推移し、2000年以降600人を下回り、2010年以降では減少傾向を強め200人程度となっている。
【構成員等数の抜粋】
1972年 1,000人
1984年 731人
1995年 650人
2007年 560人(構成員310人、準構成員250人)
2012年 370人
※出典:②

2006年時点の地域別の暴力団構成員等は、下北半島を除く南部地方に多く存在していた。
津軽方面130人(弘前市等)
青森方面110人(青森市等)
下北方面  50人(むつ市等)
県南方面260人(八戸市、十和田市等)

暴力団構成員の推移の全国的傾向(青線)と合わせて比較すると、近年は概ね類似して減少傾向にあると推定される。
1987年に増加傾向を示すのは、この頃に広域暴力団の稲川会が地元組織を傘下に収める形で進出を図ったことが背景にあると推察される。
※注 全国的傾向は、全国の暴力団構成員等数の増減傾向を、1972年の青森県の暴力団構成員等数に乗じて示している。
                                 【青森県の暴力団構成員等の推移】

青森県の暴力団構成員等

・団体数
青森県の暴力団団体数は、おおよそ90団体をピークとし(時期未詳)、1995年に57団体、2007年に41団体を記録している。現在は、構成員等の減少率を踏まえると20団体以下と推察される。
                                 【青森県の暴力団団体数の推移】

青森県の団体数

県内組織の変遷

一般的に北海道・東北地方における山口組の進出は1980年代後半に始まった。山口組が暴力団社会を刺激することになり、同時期から住吉連合、稲川会も積極的進出を行った。

1991年には、主要3団体と呼ばれる山口組、住吉会、稲川会が県内構成員等の80%を占めた。これは当時の全国平均が50%であることを考えると比較的寡占化が早かったと言える。1995年には100%に近い寡占化が完了した。
寡占化以降、山口組は県内勢力のおおむね60%を占め、それに稲川会が続き住吉会は少ない勢力に留まった。

2018年時点では山口組が分裂したことで、稲川会が県内最大勢力となり、それに神戸山口組が続き、山口組と住吉会が少数勢力となっている。
※出典:②
                                 【青森県の主要3団体の勢力推移】

青森県の主要3団体

青森県下暴力団の変遷イメージ

※変遷イメージについては、ブログ等の再引用により作成しており、参考程度に留められたい。

青森県の抗争事例

・1984年10月 梅家一家×極東関口一家佐藤会(第一次青森抗争)
【一部事件の報道】


・1987年8月 梅家一家×極東関口一家佐藤会(第二次青森抗争)
・1989年11月 山口組×極東関口一家佐藤会(みちのく抗争の一部) 
・1990年6月 稲川会系暴力団×極東関口一家系暴力団
※出典:②、警察白書。
※時期は抗争勃発時点を指し、筆者が補足を加えている。

考察

青森県の暴力団は減少傾向にあり、今後も暴力団排除の進行とともに更に減少することが確実である。県内で大きな勢力を持つ組織は、稲川会や神戸山口組の傘下組織であるが、独立団体の期間を含めれば長い歴史を持っている。地元に強く食い込んでいる可能性があるため、全業界からみかじめ料の支払根絶を徹底するなど、基本的な暴力団排除方策を繰り返し実行する事が最も重要である。

※出典

①青森県警組織犯罪対策課
https://www.police.pref.aomori.jp/keijibu/sotai/index.html
②青森県議会会議録抜粋


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