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古書としての雑誌の価値をどのように考えればよいのだろうか。

雑誌が大好きだけど、そこにある価値を誰かと共有するのは難しい。

 物心ついたころから雑誌が好きで、それは今でも変わらない。
 古い雑誌には当時の文化が宿っているようで、神保町のブンケンなどに行くと心躍ってしまう。
 だから雑誌の価値を高く見積もってしまう。しかし世の多くの人が同じように思わないことも知っている。

佐野元春のTHISを目の前にただ固まってしまうのだ。

 上の写真は佐野元春が責任編集して刊行していたTHISという雑誌だ。あの時代でもミュージシャンが自分で一般誌を出すということは画期的だったし、内容もまた妥協のない特別なものだった。
 日本のカルチャーを刺激し動かそうとする佐野元春の熱い情熱がこもっている。この雑誌の革新性は多くの雑誌に影響を与えたと思うし、おそらくビジネスのルールにしばられていたプロの編集者たちに、好きなことのためにラインを超えるきっかけも与えたろう。
 THISはのちに役割をSWITCHにバトンタッチする。

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その時にあった価値が今も誰かに伝わるのだろうか?

 村上春樹がそうであるように、登場した時に文体が与えた衝撃は、衝撃的であったがゆえに多くの影響を与え、模倣者を生み、時とともに広く使われて、いつの間にかあたりまえのものになってしまう。
 THISもまたその後に同じような雑誌が誕生し、この時代に読めばその特別だった存在感を読み取るのは難しい。
 この雑誌を古書としてどのように売ればよいのだろうか。
 社会風俗の記録資料の一つなのか、新しいファンたちのコレクションとして考えるのか、市場の判断にまかせるのか。

 また今日も「うーむ」と固まっている。

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