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野球紀行/遥かな野球場へ ~神栖海浜球場~

 下総橘駅の質素な駅舎で、愛車BD-1を展開し、おもむろにペダルを踏み出す。本当ならのんびりと走るポタリングの筈だったが、日を一日誤った。昨日はライオンズがマジック1だったので、胴上げを見るために千葉マリンスタジアムへ行っていたのである。ところがあっさり負け。2時間半かけて自転車で行くも報われず。とにかくチーム状態が悪かった。
 結果論だが、だったら昨日来れば良かったのである。おだやかだった昨日とはうって変わっての悪天候。まだ雨こそ降らないまでも、こんな日に趣味で自転車に乗るもの好きはいないという程度の強風である。利根川がえらく時化ている。橋の上から見ていると怖いくらいだ。前を走る女子高生のスカートがヒラヒラするのを楽しむ余裕すらない。せめて追い風なら良かったのに、自転車に乗っていると決まって向かい風が吹く。
 神栖海浜球場の存在を知ったのは、90年発行の『野球場大辞典』(沢柳政義・故人)がキッカケだった。以来ずっと「行って見たい球場」の一つとして意識の中に残り続けた。
「大辞典」の巻末には地方球場の一覧が載っており、神栖海浜球場はその中にあったのだが、写真もない、データだけの一覧の中にあった一町営球場のどこに興味を持ったのかというと、ミステリアスなところである。
 まず、神栖町というのは初めて聞く地名だ。調べてみると、鹿島工業地帯の一角を占める町のようだ。球場自体は工業地帯の中にある。ひと気のない無機質な、街と呼ぶにはあまりにも生活の匂いのしない一帯にポツンと存在する野球場。頭の中にはそんな風景が描かれていた。大田スタジアムや市原臨海球場のような、心惹かれる風景である。

海浜球場の名に違わず、スタンドから海が見える。

 ならさっさと行けば良いのだが、今日まで後回しにしていたのは、そのアクセスの悪さ故である。「最寄駅」がない。バスもない。おそらく関東、いや日本で最も交通が不便な球場のひとつなのではないだろうか。だが、そんなところにまた惹かれるのだった。登山家が、困難な山ほど意欲を燃やすのとは少し違うが、根本はそれに近いかもしれない。「なぜそんな場所に野球場を造るのか」という事はあまり問題ではない。
 では具体的にどう行くか。「車で行けばいいじゃん」というのは野暮である。僕は10年以上も前に車を捨てた人間なのだ。
 僕も社会人になりたての頃は、今思い出すと恥ずかしいが、車を買う事ばかり考えていた典型的なバブル期の新社会人だった。そしていざ買うぞという時、駐車場問題にぶち当たった。とにかく駐車場がない。「本当の豊かさって何だろう」と真面目に考えるようになったのはこの頃である。それはともかく、何とか知り合いのコネで駐車場を確保したものの、車を停めるだけで月2万(これでもかなり安い方だ)。街を走ってもどこも渋滞であまり楽しくない。その他税金、保険、車検、とにかく持っているだけで金がかかる。もちろんそんな事は知識として知っていたが、自分がその当事者になると、ふと虚しくなった。重い荷物を運んだり、深夜に移動する等の習慣がない限り、少なくとも東京では車は要らない。つまらない見栄のために大事な金が食われていく。結局手放した。その際にも2万円の手数料がかかった。
 話を戻す。どうやって行くか。「レンタカーがあるじゃん」というのもまたどうかと思う。10年以上運転をしていない者が知らない道を走るのは危険である。車を禁じ手とし、いかにこの異空間の野球場へ行くか。それを考える事自体が面白くなった。
 ある日、東京駅から球場の近くをダイレクトに結ぶ高速バスの存在を知った。手段としてはあっさり解決である。しかしそれではつまらない。この時既に、苦労して行かなければ面白くないという域になぜか達していたのだ。

どこからどうやって来たのか。やはり車か。

 JR鹿島線の潮来駅から神栖町役場までは路線バスがあるようだ。役場まで行ければ球場までは6kmほどである。しかしおそらくバスにしても便の数はあまり期待できないだろう。いっそ潮来駅から半日かけて歩くか?しかしそれでは球場に行くだけで終わってしまう。ならばせめてもっと近い駅はないのだろうか。で、よく見ると潮来駅よりも距離的には総武本線の下総橘駅の方が近い。県が違うから気が付かなかった。距離、約10km。ずいぶん近くなった気がする。
 さらに時が経ち、ある日、神栖海浜球場問題とはまったく関係無しに突発的に折りたたみ自転車が欲しくなり、これは良いな、これも良いなと思いつつカタログを見ていたら、担いで歩ける程度の軽いものが増えていた(実際は決して軽くないが)。これを電車に担ぎ込み、出先で臨機応変に乗れたら、移動範囲も広がるだろうと思うと同時に、球場の事を思い出し、結論が出たのである。もっとも、自転車を分解したり、折りたたんだりして交通機関で運ぶ方法は「輪行」といってわりとポピュラーな手段らしい。
 そして球場で一応野球が行われる日を定め、実行。必要なものは、ちょっとの気力、体力、遊び心、アイスの棒である。

全鹿島と全日立。ネットにピントを合わせてしまった。

 と言いつつ、やはり昨日来ていれば良かった。海が近いから余計に風が強い。神栖町に入ると、工業地帯の趣が強くなる。つまりひと気がなくなり、生活の匂いがしなくなる。それでも時折、小さなグラウンドがあって、そこでサッカーに興じる少年達がいたりすると少し救われた気分になる。しかし更に進むと、いよいよ工業地帯である。もうかなりの時間人に会っていない。東京ではどこにいても、こんなに長時間人に会わない事はない。周りに人がいないと、自然現象の些細な変化に普段以上に敏感になる。つまり素の自分が見えやすくなる。防波堤の向こうはかなり時化ている。凄い勢いで叩きつけ、道にまで飛び散る波が少し怖い。周りに人がいない分、たった一人で自然の脅威を相手にしているようだ。
 海沿いの道は避け、県道に戻る。車もない。広い道路を独占である。土地柄、道は真っ直ぐで坂道がない。悪天候でもこれが救いだ。向こうには巨大な煙突群が見える。本当にこんな所に野球場を造ったのだろうか。
 四日市の時、「野球はどんな場所にも入っていく」という事を書いた。もちろん、こんな場所にも。アナウンスが聞こえてくる。「やっと着いた」と思わず声を出しそうになる。13時45分に駅を出て小一時間。向かい風が強くて思ったより時間がかかった。存在を知って10年以上経ってはじめてやって来た球場。そう考えると妙に可笑しかった。

全国でもトップクラスの、交通の不便さを記念して建てられた碑。

 それほどまでしてやって来た球場で、どんな大層な野球をやっているのかというと、別にワールドシリーズをやっているわけでもない。茨城県内のクラブチームの大会である。全鹿島と全日立というチームがやっている。しかし風が強くて試合には集中できない。クラブの大会なので金属バットを使っているが、一人だけ木のバットを使っている選手がいた(接合バットかも)。途中まで派手な打ち合いだったのが、六回に登板したサイドスローの、スピードのない投手が意外な好投で、試合の流れどころか性格まで変えてしまった。
 風がなかったら結構集中して楽しめた試合だったような気がする。しかしそんな余裕もないまま帰りは雨まで降り出した。下総橘駅の管理のおばさんに「雨に降られましたか」と声をかけられる。よほど変わった事をやっていたという自覚はあったが、やはり顔は覚えられていた。田舎の駅。電車までまだかなり時間がある。駅に住み着いているのであろう猫を相手に暇をつぶす。僕がイメージしていた、秋晴れの空の下の、のどかな道中と正反対の図。道中も試合も楽しむ余裕もなく、ただきつかった。しかし、球場のアナウンスが聞こえてきた時、一瞬風が止み、道が開けたような気がした。野球がどんな場所にも入っていくように、僕も野球がある所にはどこへでも行きたい。(2002.9)

関わりあいたくない猫。

[追記]
 東日本大震災時の、当地の震度は5強だったらしい。例にもれずこの球場もしばらくは使用できなくなっていた。
 今年、神栖市が海浜球場を含む海浜公園に対するパブリックコメントを募集したところ「外部から人を呼び込むには,交通アクセスの利便性が不可欠である」という、当たり前だけどとても意外な意見があった。何が意外かと言うと、地元の人に「外部から人を」という発想があった事が。

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