周回遅れの人生を吐き出す3

初めに言っておく。この時期の記憶はあんまりはっきりしていない。どうやら通院してないだけで鬱になっていたらしい。なので今までよりもめちゃくちゃ薄っぺらい記憶になるし多分量も少ない。それだけは留意してもらいたい。(これを書いているときに改行できることを知った)

どうしてやろうか。
僕は入学してからずっと考えてきた。とりあえずめちゃくちゃにしてやりたい。復讐したい。その欲求だけが心を渦巻いていた。とにかく泥を塗りまくってメンツも滅茶苦茶にしてやりたかった。
学生生活はそこそこ楽しもうとした。だが無理だった。あそこは所詮高校の延長だった。100人のクラスメイトだった。医師国家試験対策高校だった。つまり僕が期待したような奇人変人はいないのだ。学園祭も近くの商店街を巻き込んで何かやるわけでもなく出店といえばせいぜい漢方研究会がよくわからないクッキーを売る程度だった。
僕は失望した。
と同時にある種の納得をしてしまった。だからあんなつまんない人間が出来上がるんだ。あの憎悪がより大きくなっていった。あいつのようなつまんない人間の分際で僕のなんにでもなれる将来を潰しただと?こんなブタ箱で6年も過ごせと?さあてどうしてやろうか。モンテクリスト伯ほどではないにしろずっとそんなことを考えていた。
見返ばいい、とかいうやつがいると思うが違うのだ。そんなことじゃねんだ。見てほしいんじゃない。後悔してほしいわけでもない。苦しんでほしいんだ。理想としてはあいつが泣きながら土下座するのを眺めたいんだ。

そこで思いついた。あいつは僕を「できるやつ」として紹介したはずだ。つまりそれが嘘だったら、フカシだったらどうなる?だがただ成績悪いだけじゃだめだ。もっと大事にならんとだめだ。

1年の間は趣味に熱中してた、ということにした。幸い趣味には困らなかったしやっていた部活もダンスで深夜イベントも多い。これを利用することにした。案の定成績は数学と物理を除いて最底辺だった。単位制でなく成績評価だったが次の段階に上がる成績は取れなった。

そこで僕は通う時間が長すぎて勉強できないという言い訳をして学校の近くに部屋を借りさせてもらった。もちろん勉強なんかほとんどしなかった。先輩と酒ばっか飲んでた。家飲み、居酒屋、合コン。ただ飲んでた。煙草も10ミリになった。

だがもう限界だった。2年目で辞めよう、と決意した。最後に砂かけてさっさと逃げよう。だがどうやってやろうか。そこで思いついた手段が不正行為、いわゆるカンニングだ。それを決めてからいかにばれやすくしかもあからさまでないカンペを作るかに腐心した。

結果僕は学年主任に呼び出しを食らいこんなことを続けるなら退学にする、ということになり、はい辞めます、となった。もちろんあいつはキレた。成績が悪かったことよりもどうやら他のことのほうで怒っているらしかった。その時に初めて、てめえに迷惑かけてやるためだバーカ、と言ってやった。殴られた。

やはりこんなことは珍しいらしく決まるまでの間、いわゆる学校の心の相談室みたいなところに通わされた。あいつの存在する家にいたくなかったので不幸中の幸いだった。正式に退学できた日になんか学長から本をもらったが家に帰って捨てた。

母親に聞いたら僕が受験前に「行く気ないしすぐ辞める」と言っていたのはマジで冗談だと思ってたらしい。つまり僕の言うことなんか聞いていなかったわけだ。

その後残りの半年と1年を使いなんとか現在の大学に入学した。この時最悪自衛隊に入ろうとしていたがそちらは落ちていた。受験時代に防衛大学校も受けているのだが同じく面接で落ちている。どうやら僕は社会に合わないらしい。
この時に壊れた精神というのはそう簡単に正常にならないらしく、人間を演じながら生活し勉強せねばならない。このマルチタスクをこなせるほど僕は器用に生きれないので2留し、場面的にでる軽い吃音と生来の何とかなるやろの精神で臨んだ院試に落ち、まだ足踏みしている。

なので僕は宝くじをあてるか石油王に養われるかくらいでないと戻れないと思っている。

僕は、あいつを死ぬまで許さないし施設どころか墓にも入れないと心に決めている。あいつのために金を使うことは絶対にない。
母親はまあ少しは同情している。こんな僕とあんな奴の間で板挟みになって大変だったろう。けど味方じゃない。それは忘れない。
ただ唯一妹には、僕がこんなことをしたせいで妹は看護学生をやる羽目になってしまった、という点で申し訳なく思っている。



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