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「尊敬している人はお母さん」とか言う人の気持ちが理解できなかった

 私がこの違和感に初めて触れたのは小学校高学年くらいの頃だと思う。

 先日ドラマ「ブラッシュアップライフ」でも取り上げられていて懐かしく感じたが、私が住む地域でも当時「プロフィール帳」というものが流行っていた。

 「プロフィール帳」とは、大きめの手帳くらいのサイズ感で、可愛らしいキャラクターや装飾で彩られた用紙をファイリングして楽しむ、友達同士の自己紹介ツールである。

 名前や電話番号などの基本的な項目は申し訳程度にあるが、これの醍醐味はそのあとの質問形式の自己分析コーナーである。
 メーカーによって多少内容は異なるものの、「○○な人」を書かせるタイプのものはわりと多く、「好きな人は?」「一緒にいて楽しい人は?」などと並列して「尊敬する人は?」という質問にもよく遭遇した。

 私の中では「尊敬する人」=『偉人』というイメージが勝手にあったため、そこに『お母さん』と書いている友人が少なくなかったことにカルチャーショックを受けた。

 当時の私が抱く母のイメージは、「うるさい」「ヒステリック」「子どもの気持ちを分かってくれない」「暇さえあればゴロゴロしながらテレビドラマを観てる」という随分とネガティブなもので、『尊敬』とはかなりかけ離れた存在だった。

 それは、就職して自分が働くようになっても変わらなかった。


 そんなネガティブ一辺倒だった母へのイメージが大きく変わったのは、私が結婚してからだ。

 始めは学生時代は一人暮らしをしていたこともあり、家事は一通りできるし正直結婚生活も余裕と思っていた。

 しかし実際には、仕事を終えて帰宅→洗濯や掃除→夕食の準備→後かたづけ→ゴミ出し…これを毎日繰り返すことがこれほどまでに大変とは想像もしていなかった。

 共働きのため、主人と家事分担をしてはいたが、帰宅の早い私の方がどうしても時間的に余裕があることや、新婚当初で気負っていたこともあり、結局家事の大半を一人でこなしていた。

 一人暮らしのときは自分一人なのでいくらでも手を抜けたし、就職して実家に戻ってからはほとんど家の手伝いもせず母に任せきりだったため、
「家事ってこんなに辛いものだったのか」
と自分が家庭を持って初めてそれに気づいた瞬間だった。

 私が知っている母は、
「いつもゴロゴロしながらテレビドラマばかり観ている」人だった。
 しかし実際には母は、
「一人で毎日しっかり家事をやり遂げていた」のだ。

 母は私を出産すると同時に仕事を退職しており、子育てがひと段落してからはパート社員として平日は毎日夕方近くまで仕事をしていた。
 加えて我が家は3人兄弟である。3人の子育てをしながら、毎日仕事に家事にとパワフル全開だった。

 私が見ていたのは、母の日常を切り取ったほんの一面だけで、本当のところは何も分かっていなかったのだ(父は今でも分かっていなそうだが)。

 そのことに気づいたとき、私は素直に母に尊敬の気持ちを抱いた。

 それと同時に、いかに自分がこれまで母に甘えていたのか、またいかに自分が子どもだったのかを痛感した。

 きっとあのときプロフィール帳に「尊敬する人はお母さん」と書いていた友人たちは、とっくに母親の偉大さに気づいていたのだ。


 大人になるまで母を労われなかった私は、今頃になってようやく孫(私の娘)の力を借りてせっせと母への恩返しをさせてもらっている。


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