【自作小説】クロッカスの舞う夜に。#10
Short hand.
10
「ゆい君行かないで」
こうなるのも時間の問題だとは分かっていた。それでもあまりに呆気ない終わり方だった。喧嘩の原因がどちらにあるかと、今考えても分からない。
付き合ってから最初で最後の喧嘩をしたあの日、いつも温厚で誰にでも優しいゆい君が、玄関の扉を勢いよく開けて、もう出ていってくれと冷たい声で私に言った。
「そうだよね。私が悪いんだ」
そう言い聞かせるようにして、突然の別れを受け入れるしかなかった。
「愛佳ちゃん、誕生日おめでとうー!」
冬の気配が感じられ、夜になれば羽織るものが必要な寒さになるこの時期に、彼氏と友達数人が私の誕生日会を開いてくれている。
「いやぁ、夏のビールも美味いけど少し寒い中で飲むビールも美味いね」駅に隣接するビルの屋上の、珍しく1年を通して営業しているビアガーデンで、彼氏の友達の真人君が言う。もう一人の友達は、私の大学時代のサークル仲間で、真人君の彼女の美咲が来てくれている。
ゆい君と真人君は、大学時代サッカー部に所属していて、ゆい君とはあと1ヶ月程で交際1年となる。当時から仲の良かった男同士、女同士だったので、自然とこの4人でこうして集まることも増えた。
「ビール美味しいけど、少し寒いね」昔から寒がりだった美咲は席の隣に設置されている傘型のヒーターに手を寄せている。建築会社の営業マンをしている真人君は、いつも元気で彼を見ていると寒さも嘘のように感じてくる。ムードメーカー的存在の真人君に比べて対照的に、私の彼氏のゆい君はクラスのアイドルのような、端正な顔立ちをしたイケメン枠というものに分類されてくると思う。集団の先頭に立ってみんなをまとめるような性格でもないし、少しミステリアスな部分もある。しかしそんな追いかけたくなるような彼のことが、私は好きなのだと思う。
付き合い始めた当初、美咲にゆい君のどんな所が好きか聞かれた時にこの話をした。「追いかける恋はよくないと思う」と若干反対されていたのだが、愛佳を見ていても幸せそうだし、いいと思うと応援してくれている。
「お前が俺らのキューピットになってくれたようなもんだし、感謝してるよ」
「キューピットってそんな大袈裟な。俺が何かする前に、気付いたら真人たち付き合ってじゃんか」
「まぁまぁ、きっかけを作ってくれたということで。改めて乾杯しよう」
「真人は本当に元気だなぁ」
私と美咲が話している隣で、2人を置き去りにして盛り上がっている。たしかに、真人君が美咲の事を学生の時からずっと好きでいるという話を聞いて、ゆい君がこの4人で遊ぶ企画を立てていた。それが功を奏して、2人は交際を始めている。
一方の、私とゆい君が付き合い始めたきっかけは、私が大学を卒業してフリーターとして働いていた飲食店に、偶然にも彼が訪れたのがきっかけだった。
#11 へ続く
今回より第2章「Short hand.」開始。
唯月と弥生の出逢いを描いた第1章。
ゆい君と愛佳の再燃した恋模様を描く第2章はどのような展開に進んでいくのか、いかに。
#1 はこちら
自作小説「クロッカスの舞う夜に。」の連載
眠れない夜のお供に、是非。