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枕の有無と人格形成についての考察

幼い頃から、枕があると眠れなかった。
なんだか首が浮いてる感じが落ち着かなくて、
平たいマットの上で毛布を頰の下に巻き込ませて包まるようにして眠るのが昔から好きだった。
これまでの人生の中でも家族に何度か枕があることの良さを説かれてきたが、その度に頑なに拒否してきた。
たまに受け入れてみて枕アリの生活にシフトしようと試みたこともあるが、
やっぱりダメだった。


一般的に必要とされているものを必要と素直に思うことができない曲がった性格は、この「幼い頃から枕があると眠れなかった」という事実が影響しているのでは、とふと思う。

学術的な研究がもしかしたらあるかもしれない。
詳細は調べず、思うがまま自身について整理の考察を書く。


「人は枕を使って寝るものである」という当たり前の常識は、アニメや漫画、ドラマなどでも当然寝るときの象徴として登場し、刷り込まれてきた。
が、なんとなく「自分は使わないけどな」ベースが自然と出来上がっていたように思う。
修学旅行などでも友人たちが枕を使っているところをみると、そこまで大きく意識していたわけではなくとも、使っていない身としては「あ、使ってんだな」くらいには思っていた。

枕使用の有無ごときで偉そうに何言ってんだろう。

でも多分、おそらく、こうした感覚がどこかにあって、
「一般とは違う感覚を持っている意識」の根底が出来上がった気がする。

痛々しい人物の出来上がりである。

思い返してみると、人生の中でなんの説明もなしに必要とされるものについて、無意識的にそれを弾いてきたかもしれない。

下敷き。
小学生の頃、ごく当たり前のように文房具に組み込まれるちょっとぶ厚めのプラスチックの板みたいなアレ。
ノートに何か書く際、後ろのページに筆圧の跡が残らないようにするアレ。
小学校にあがるとき親が用意してくれたが、
入学して早い段階で明確に「いらない」と思ったことは覚えている。
ツルッツルして大変書きづらかった。

しかし周りの子は結構それなりに使っていて、「よく書けるなあ」と感心していた。
書きづらいと言い出せなくて使っていただけの子もいるかもしれないが、
皆それなりに用意されたものに順応する能力があったのだと思う。

とすると、自分はその時点で用意されたものでどうにかする力はなかったとも言える。

色鉛筆についてるちっさい鉛筆削り。
色鉛筆の缶を開けるたびに落ちるし使わないし邪魔なので早々にこれも排除したが、これは後悔した。
鉛筆削りは必要。
描けなくなるよ。

自分以外にも早まって捨てた子はいるだろうと思っていたが、
案外みんなちゃんと捨てずに持っていて、
鉛筆を削りたいタイミングでちゃんと削っていた。
私は持っている子に貸してもらった。

ここから考えられるのは、
見切りが早い。
タイミングが悪い。
ものを大事にしない。
ということだろうか。

幼い頃から、なんで皆なんの説明も受けずに持たされたものについて
ちゃんとそのまま使っていたり持っていたり、
なぜ失敗しないんだろうと思っていた。


やや無理やり繋げるが、
おそらく枕無しで寝てきた「無くても大丈夫」という感覚が
用意された環境やものに順応する能力の欠如を招き、
さらに枕無しで寝てきた「一般とは多分違うわコレ」という痛々しい根底の意識が、皆と比べてちゃんとできていないという劣等感を持つ一方で「でも私は人と違うし大丈夫」と心の大事な部分が壊れないように暗示をかけていたのではないかと思う。

つくづく何様だお前はと思う。
ただ20数年間、こうやって生きてきてしまったのだ。


幼少期からの習慣は本当に当たり前すぎて無意識で、
大人になった今、自分の嫌なところに目を向けて原因や考え方を紐解いて行こうとすると、思いがけない記憶と因果っぽいものに再会できたりする。


今回は「人生において必要あるけどないと思ったから弾いてきたもの」から自分の足りないものやそれを形成してしまった原因を考えてみたが、
20数年間の人生、おそらくそれだけではない数えきれない記憶や意識、原因が心の中にある。


また気が向いたら幼い頃の記憶でも思い返してみる。




どなたかの目に留まったら、
ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。

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