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映画の中での時計店という世界【真夜中の5分前】


主人公の日本人の青年『良』が暮らす外国人居留区に在る小さな時計店。
この店の世界観がとても美しい。
冒頭、時計を寡黙に修理している『 良』の背中越しに見えるステンドグラスが柔らかな光を放ち古い店の中を薄ボンヤリと幻想的に照らし出す。クラシックな時計が並ぶ店内とステンドグラスのハーモニーが、えも言われぬ雰囲気を醸し出している。その中で黙々と手を動かし文字盤の外れた時計を組み立て直して修理する『三浦春馬』は限りなくその世界に溶け込んで美しいとしか言いようが無い。まるで一枚の絵画を観ているような錯覚に陥る。
オレンジ色の暖かな光に包まれた屋内は少し薄暗いアンニュイさが時間の流れがここだけ違うかのように錯覚させる。現代から少しだけ取り残されたようなノスタルジックを感じさせる描写に心地よさを禁じ得ない。この独特の世界観の中で『三浦春馬』は異国へ単身渡った青年というどこかミステリアスな若者を自然体でそこに存在する。まるで生まれた時から、その青年自身であったかのような佇まいで上海という馴染みの少ない土地であっても違和感なく溶け込んで居るのだ。チョッと猫背の余り目立たぬように遠慮がちに毎日を淡々と過ごしている感じ。控えめと言うよりも目立ちたくないのだと思った。日常の煩わしさに捲き込まれたくない…というのだろうか?そっとしといて欲しい…僕もあなたの事は干渉しませんってとこだろうか(笑)
予告編のナレーションで『孤独な青年』と表現されていたが…孤独というのは対外的な表現で『良』という青年は自らの意思で見えないベールで身を護っているように感じた。孤独という言葉からイメージする外界を遮断して孤立しているようには見えなかったのだが?敢えて表現するなら…『時間に取り残されたかのような』としたい。彼の抱える過去から先に進めていない。彼女を喪ってから時間が止まってしまっている事にまだ気付いてなかったのかもしれない。当たり前のような毎日を過ごしていて、生きているという実感も無いままにただ生きていた。映画の中では細かく説明されなかった設定にそのものとして淋しげな憂いを帯びた笑みで返す表情に切なくさせられる。ルオランはその笑みに何を見たのだろう…そこはかとない感情で【5分遅れの時間】を受け入れたのだろうか?そんなに先急がなくてもというユッタリとした穏やかな感情だと受け取ったのか。上海という土地そのものがそんな感じの街のようだ。その中でも古びた時計店は尚一層ノスタルジックでジャージーな世界だ。台湾の様な都会でもなくて香港のように派手さのある喧騒でもない…都会過ぎない程よさがこの映画の心地よさかもしれない。時計店の在る街並みがひと昔前のような時間軸で流れていた。その世界で良が乗っているバイクでさえ静かにスローな動きで、ガンガンと走りまわる中国の乗り物の忙しなさと余りに違う雰囲気にチョッと笑ってしまった。さすがに居なくなったルーメイを探す時にはスピード感が加えられていたが(笑)

時計店と同じく魅力的なのがゴルフ場の別荘だった。特別に日本でセットが組まれたそうだが異国的な内装やインテリアにやはり照明をオレンジに拘って明る過ぎないムーディーな雰囲気にプレイヤーが奏でる極上の音楽。特別に作られたオリジナル曲らしい。映画全編を纏う雰囲気はそのまま独自の世界観として作品にエッセンスを加えていた。



【ひとり言】
余談ですが、個人的に行定勲監督の作品は今回初めて拝見しました。
この作品が作られるにあたっての経緯は余りに有名ですが…紆余曲折を経て上海で撮影された事も運命だったのでしょう。時代を感じさせないこの映画は逆に何年経っても古びる事は無いと思います。日本では難しいとされたように、三浦春馬主演作品でありながら日本では大ヒットとはならなかった。しかしあの中国で4000ものスクリーンで上映された作品なのに…マニアックな作品だったということなんでしょうね(笑)

日本的に云うならばドラマ向けの内容の作品ではあるけれど、やはり照明や音楽など映画だからこそ拘って作られたものでしょう。これがテレビドラマになったらきっとちゃちなミステリーになってしまうかもしれません。ドラマにそこまでの予算や拘りを詰め込む余裕は無いでしょうから…やはりこれは映画でなければならなかったのです。観る側の受け取り方でどのようにも感じることの出来る、感じる作品だと思います。長く愛されていく映画です。ひとりでも多くの出会いがありますようにと願っています。7年の時を経てまたドリパスで各地で上映されて新たな出会いがあります。この先もっともっと、この美しい映画を大きなスクリーンで感じて欲しいと願います。




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