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自分のために書きだしてみることで、はじまるものがある【note再開5日目】

変な時間に眠ってしまい、明日も朝から仕事だというのに全く眠れなくなってしまった。

人それぞれ「書く」ということの意味や目的は違うと思うけれど、あなたはどうですか?

noteを再開してまだ5日目だけれど、早くも変化を感じている。
自分の中に停滞してたびたびオーバーフローする感情や思考、意識の循環がよくなり、インプット・アウトプットが回るようになった。
たとえるとお通じがよくなったような感じ。

これまでブログやSNSなど、何かと発信や表現をしようとしては、何度も頓挫してきた。
「自分本位のことを書いてもしょうがない」とか「人の役に立つこと、共感を得られることを書かなくちゃ」とか、「こんなことが言いたいんじゃない」とか。

もともと発信には興味があった。内向的だけど外交的な自分もいて、何かしらで社会や個とのつながりを感じたかったのだと思う。変な言い方だけど、自分が人間である、生きていると実感したかったのだと思った。

発信してつながりを生成しようと思うと、相手目線、読み手ファーストで書こうと意識をしすぎてしまう。
自分の中に強い衝動性を持ちながらも、基本は相手を優先してしまう性質なので、脳内ではダブルバインド(二つの違う矛盾した意味のメッセージを受け取ること)が起きる。そして書けなくなってしまうのがいつものパターンだった。

そうなってしまうのは、HSS型HSPの気質も関係していると思う。

誰に何を伝えたいのか目的を明確にしたほうがいいのかと思い立ち、アカウントを分けてSNSやブログを作ってみたけどしっくりこなくて。
毎日書いている日記にはすらすら書けるのに、何か自分の一部が欠けたまま生活しているような気持ちだった。

日記は人に絶対見せられないことが書いてある。
日記は自分を救いたいくて書いている。見せる必要がないから、好き勝手に書ける。人との境界線があいまいで自分の気持ちがわからなくなりがちだから、唯一の安全圏のような役割がある。

noteは人の目に触れている意識で、自分の感じたことを書きたかった。日記と似ているが、他者を意識して書いている。自分のために書くことで過去の自分を救うことになり、誰かを救うことにつながると信じたい。

いいアウトプットができる人というのは、他者からのフィードバックを受けている人だ。自己満足で書いているだけでもいい。けれどもし制作物で他者に影響したいと願うならば、世に出して反応を知り、ブラッシュアップを繰り返す。そのうちに自分を救うために書いていたものが、いつしか誰かのためになる文章を書けるようになるのかもしれない。

最初は誰かのために書こうとせず、自分のために書くことを始めればいい。自分のためになる内容は、愚痴やネガティブすぎることを書いてもいいけれど、それで救われるのかな?って考えるのが大切。
書いているときは気持ちいいかもしれないが、3日後に読んだ時の自分はどうだろう?って想像してみる。「私はこんなグチグチしたことを世にさらしていたのか。読んでも元気が出ないな」と思うかもしれない。

わからなければとりあえず書いて、後日読み直してみる。違うなって思ったら消す。その行動だけでも自分と向き合っていることになって、少しずつ、言葉は循環していくんだなって気づいた。
好き勝手日記を書いているおかげで、他者を意識して書くこととの区別ができ、書きたい気持ちが生まれた。noteをはじめたことで感じる変化だ。

ブログやメディアとして記事を書く時には、読者層を意識して書くことが重要だと言う。そうしないと読まれないから。確かにその通り。でもnoteは書きたい人たちの集まりだから、自由に書いてみたらいいんじゃないかと思います。

ちなみに、毎日更新することを目的にはしていない。書きたい気持ちがあるうちは、書くことがなくなるまで続けてみる。
もし書くことがなくなっても、noteならお題も豊富なので、のっかってみたら違う自分にも出会えそうだ。
スキがもらえなくてもそれはそれで反応の一部だと思っている。時間が経ってから読まれることもあるし。

noteという適切な制約があるからこそ、自由になれるのかもしれない。なんでもありの中ではっちゃけようとしても、案外できないもんです。

こんなことを書いていたら明け方になった。
もし迷っているのなら、書いてみちゃってくださいな。

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