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書籍紹介|イスラム2.0-SNSが変えた1400年の宗教観-【JOCV Day175】

先日ヨルダン人のムスリムから「イスラムについて知りたいならヨルダン人を見るな。本を読め。」と言われた。

何からはじめようかとしていた時、イスラム思想の研究者である飯山陽先生の新作「イスラム2.0-SNSが変えた1400年の宗教観-」が出版されたのでAmazonで購入し、日本からヨルダンへ送ってもらった。今はKindleでも読めるようになっている。

読み進めながら、本を読めと勧めてきたヨルダン人ムスリムの友人は正しいと判った。ヨルダンに半年住んでいるだけでは到底分からないイスラム世界の変動が、本書を通じて見えてきた。

タイトルにある通り、イスラム世界は「イスラム2.0」へと移行している、というのが著者の見解である。本書ではイスラム教徒がインストールしている「イスラム教についての知識」について、「イスラム1.0」と「イスラム2.0」という言葉で定義してから、イスラム世界やそれ以外の世界各地で起こっている現実の事案を考察していくものになっている。

「イスラム教は神の啓示が絶対なのだから、イスラム教に1.0も2.0も無いのでは」と思った人は鋭い。イスラム教では神の啓示を人間が変更することは許されない。啓示は不変であり、啓示が1.0から2.0へバージョンアップするということは有り得ない。

それでもバージョンアップされてしまったのは、イスラム教徒がどのようにイスラム教の知識を獲得するか、そのインストール方法が変わったからである。鍵を握るのはインターネットの誕生と普及である。

イスラム教が勃興した7世紀からインターネットが普及するまでの約1400年間にわたり、イスラム教徒たちが搭載してきた「イスラム教徒についての知識」が、OSイスラム1.0です。インターネットが一般に普及し検索エンジンやSNS、動画サイトなどが登場した2000年代初頭から、そのイスラム1.0が2.0へとアップデートしています。
【Page 42より ※一部漢数字表記を算用数字表記に変更】

イスラム1.0の時代、啓示の解釈についてはイスラム法学者という知識人に委ねられていた。コーランやハディースにアクセスし、それを理解できるのは一部の知識エリートのみであり、他の大多数の人々は知識エリートに教えてもらうことでイスラム教の知識をインストールしていたのだ。

これがインターネットやSNSの普及によって状況が一変する。スマートフォンとインターネット環境があればいつでもどこでも啓示を参照することができ、知識エリートから教えてもらう必要が無くなったのだ。

知識面で圧倒的に弱者だった一般のイスラム教徒が、インターネットを通じて啓示テキストにアクセスできるようになったのです。
【Page 49より】

「テキスト」という言葉が重要だ。これまでは知識人の解釈を通じてでしかイスラム教の知識をインストールできなかったのだが、イスラム2.0の時代ではコーラン、ハディースという大元の啓示テキストに容易にアクセスできるようになったのだ。

神の啓示を絶対と考えるイスラム教徒は、啓示テキストをできる限り文字通りに解釈し、行動しようと試みる。実はこれが「原理主義」なのだ。

非イスラム教徒の私たちは、イスラム原理主義は啓示を拡大解釈している過激な思想だと考えているかもしれない。しかしながらイスラム教徒から見ると現実はその逆で、これまでの啓示の解釈、すなわちイスラム1.0が啓示に忠実では無く、今のイスラム原理主義が、啓示テキストに忠実なだけなのだ。

イスラム2.0時代は、一般信徒が徐々に啓示に忠実な「真に正しい」信仰に覚醒し、原理主義化していく時代です
【Page 59より】

ここまでくると、「では啓示には一体何がどう書かれているのか」気になってくる。本書では啓示テキストも確りと参照しながら、いま世界で起きている「現実の事案」について、「イスラム教の論理」を以って分析している。

これは西側の国にとって不都合な真実なのかもしれないが、日本も含めた西側の理論では到底認められないことが、啓示テキストによって「見事に」正当化されるのである。

『コーラン』第九章四一節には、「軽装備でも重装備でもよいので出征し、あなたがたの財産と生命を捧げて神の道においてジハードでよ」とあります
【Page 50より】
『コーラン』第二章二二三節に「妻はあなたがたの耕地である。だから意のままに耕地に赴け」とある
【Page 80より】
『コーラン』第五章五一節の「あなたがた信仰する者よ、ユダヤ人やキリスト教徒を仲間としてはならない」
【Page 114より】
『コーラン』第五三章四五に「彼(神)は男と女を夫婦として創造した」とある
【Page 146より】

テロ、女奴隷、非イスラム教徒の迫害、反LGBTなど、西側が「過激な原理主義だ」と強烈に批判する事柄が、啓示によって正当化されうるのだ。そしてイスラム世界のどの国よりも啓示に忠実な組織が「イスラム国」であり、イスラム国の存在や行動を支持しているイスラム教徒が世界中にいることを示唆する世論調査の結果も本書に記されている。

読みながら恐怖してしまったが、私の中に「イスラム教はこういうものだ」というお粗末な希望的観測があったからだろう。西側の論理では許されないことが、啓示テキストによって強力に正当化されることが良く分かった。

イスラム2.0の世界ではイスラム教徒が原理主義的になることに、イスラム世界の各国のリーダーや、著者をはじめとするイスラム思想の研究者が気付きはじめている。啓示で正当化されうるテロ行為や異教徒の迫害に、イスラム世界の各国のリーダーは対応を求められる。「イスラム原理主義」に抗うことは啓示に背くことになるという矛盾の中で、極めて難しい舵取りを強いられている。

イスラム2.0の世界で生きる多くのイスラム教徒もまた、啓示と現実の乖離に直面し、折り合いをつけようと苦しんでいるのだ。

イスラム2.0へのアップデートが進めば進むほど、イスラム教徒にとって自分を取り囲む現実と神の意志との乖離は悩ましいものとなり、それは、フラストレーションとして人の心の中に蓄積されます
【Page 115より】

イスラム原理主義が過激な思想だと、外野の私たちが言うことは簡単だが、それはもはや思考停止なのだろう。

国民の90%がイスラム教徒であるヨルダンで生活して半年になるが、有難いことに親切な人々に囲まれながら活動ができている。一方でイスラム2.0への移行が進む世界では誰でも原理主義的になりうることを理解し、啓示に忠実な世界から私がどのように映っているのか意識し、言動や行動を制御しなければならない。これは非常にストレスが溜まることの連続だが、多様性のある社会で生きるとはそういうことなのだと思う。

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