純文学の読み方(『推し、燃ゆ』を読む)

寝ろ

微熱に浮かされて碌なことを考えない。
自分は”推し”にどう思われているのか。好かれているのだろうか。
「あれだけ素敵なひとなら彼氏のひとりやふたりいてもおかしくない」
「いや、配信に忙しいからそんな暇なんて」
「よく考えてみると私が彼氏だった」

荒唐無稽を極めた脳内三国志は晋を経て、五胡十六国まで混沌を深めている。
考えたくなかったからずっと働いていたのに、その職場で流行り病と休みを貰ってきてしまうのはなんと因果なことか。
倦怠感も喉の痛みもなにもかも、外部コアに身を任せる私にはひどく遠いものだった。
前置きが長くなっている。頭の中ではさらに時代が進んでいた。梁山泊の百八の星たちが……


純文学の読み方

『推し、燃ゆ』は何度も読み返していることもあったが、それ以上に作品の持つ”けだるさ”が今の自分に合っていた。
感想も既出の上、今口を開くとネガティブなことしか出てこない。
なので、これは「純文学の読み方」についての記事にしようと思った。
(ターゲットは芥川賞などを想定しています)

先日、友人から「『推し、燃ゆ』を60ページほど読んだ」という連絡が来た。「面白くないだろ?」と返すと「うん」
長い付き合いで何度も人生や恋愛、仕事の相談に乗ってきた。
でも、価値観が合う気配は一向にない。ちなみにヤツは極めて有能なドMだ。

もちろん、その時は「そもそも『推し、燃ゆ』という本には”目的”があって……」と演説を繰り広げたわけだが、もう少し分かりやすく纏めてみたい。

(前記事にある通り、”推し”という言葉は軽くて苦手だった。
ただ最近、自分の気持ちを軽く装うために”推し”や”ガチ恋”は思った以上に便利だという気付きがあり……)

①「テーマ」と「答え」

純文学を読み解く第一の方法は「テーマ」
そして、これこそ最も読者がひっかかる部分です。

通常の小説の筋は”出来事”をベースとしていますが、純文学は”心情”がベース。したがって、物語の起伏やストーリーを”出来事”ベースで捉えるとメリハリのないものに感じられ、カタルシスもなくつまらないように思えるのだと思います。
そして、心情の動きを通して描きたいテーマがあります。

『推し、燃ゆ』のテーマ(目的)は、
「”推し”は虚構の概念だが、現実(肉体)と地続きの痛切な依存関係(ということを上の年代に伝える)」
といったところでしょうか。

前半部で推しという概念、推し方の軽重・多様性を上手に説明しながらも、後半部の喪失(ラストライブ周辺)へと繋げていく流れは見事で、心情ベースの大きな起伏にはカタルシスを感じるものでした。
「推しは命にかかわるからね」の台詞は読み進めるほどに重みを増していきます。

また、テーマがあれば(テーマに対応する)答えがあります。
明確にあるかどうかは別にして、答えを探すこと、その過程に価値があると私は思います。

”推しの喪失は死だった。一度死んで自分で自分の骨を拾う。寄る辺を無くした者は四足歩行で生きていくしかない”
という慰めにもならないけれど、ほんのわずかに前向きな諦めのメッセージに、本書の”答え”を見た気がします。

②比較する

比較することも楽しみ方のひとつでしょう。
登場人物に自分や誰かを重ね合わせて。おススメしてくれた人の心理をさがして。他の創作物と照らし合わせて。

”あかり”(主人公)よりも自分は状況いいとか、自分と推し方違うなあとか。共感できない、でもいいですが、行動原理は少しわかってあげて欲しいような。

私の場合だと、
あかり(主人公)の環境がどうであれ、確かな”背骨”があれば二足歩行できるという部分に共感を持っています。外部にある”コア”を攻撃しないとダメージが入らないボスのようなイメージで。
ラストの”生きていくしかない”はNHKにようこそ! と共通点があるようななどなど。

③文章そのものの”味”

文章は作者自身を強く反映するので、ストーリー以外にも、文体や言葉遣い、世界観に作者のカラーが色濃く出ています。そこは”味”として楽しむポイント。

『推し、燃ゆ』は若くて瑞々しい女性の文章が特徴的でした。
本文は言い切りを多用し、切実さや感情のライブ感が強く打ち出されています。
語尾の重複を恐れないことや”業”などの若者特有の言い回しも面白く、文章にフルーツやトマトのような食感を覚えました。

まとめ

以上、純文学を読むポイントでした。
普段①~③を考えて読んでいるかと言うと、そうでもなかったり。
本を感覚で味わうことに、既に上記が含まれているのだと思います。
本を読んでわからなかったら、この記事のことを思い出していただければ幸いです。

もちろん、それでも難しく勘所がつかめないこともあると思います。
そういった時は、芥川賞の選評や他の解説・感想を読むことがおススメ。

私は、一度自力で読み抜いた後で選評を見ることが多いです。
(大傑作『おらおらでひとりいぐも』の選評に◎がたくさんついているのを見て「はー、審査員わかってるじゃん」というくらいの心構え)

初心者が読みやすい本は他にも『火花』や『コンビニ人間』などいろいろあるものの、やはり『推し、燃ゆ』が一番面白くておススメです。
そこから純文学の面白さを知っていただければと。

もちろん、初心者向けだけではありません。
この記事があれば多少骨かもしれませんが、だいたいの本は読み解けるはずです。

さんごの果てで待っている

そう、だいたいの本は読み解けるはず。
難易度MAXの『abさんご』を除いては。

昔からそうだった。
歩幅も、本を読むスピードも、なにをとっても人と違った。変態だ。
理解されなくても生きていけたのは、同担拒否気味だったのもあるけれど、自分の”好きに対する絶大な信頼”があったから。
こんな私に推される”推し”はかわいそうだけれど、猛烈に好きでいること対してに何の疑問もない。

だけど、『おらおらでひとりいぐも』について語りたかった。
一人くらい『abさんご』に届いてほしかった。
いっしょに村上龍さんの凄まじい選評を笑いたかった。

「推さなかった。ただし、作品の質が低いという理由ではない。これほど高度に洗練された作品が、はたして新人文学賞にふさわしいのだろうかという違和感のためである。」「その作品の受賞に反対し、かつその作品の受賞を喜ぶという体験は、おそらくこれが最初で最後ではないだろうか。」

村上龍さんの『abさんご』に対する選評

そう言っても仕方ないので、こんな記事を書いて友人に送ることにした。
振り返ってみると、思った以上に読みにくい文章だった。相手はMだから多少はいいだろう。

読んでくれるといいな。
まずは『推し、燃ゆ』から。

さて、辿り着いてこれるかしらん。
さんごの果てで待っています。


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