ウォーズ四段の余談<庭Ⅱ>

妙手ヤマゴボウ

剪定歴が長くなると、特殊能力が身につくもの。
将来枯れる枝、枯れている枝が葉先を見るまでもなく分かることがあります。不要枝の考え方のかんたんな応用ですが、人によっては驚くかもしれません。

今はすくすく伸びているこの枝もいずれ枯れゆく運命で。
根元に鋏の刃を当てる時、いつも考えます。
この枝は何のために生えたんだろう。どうして生まれたんだろう。

思えば、ガーデニングはエゴそのもの。
植物を美醜で区別する。美しい花木に愛情を注いで、要らない草は処分して。生まれた瞬間に要不要が決定され、雑草は邪魔と言われる始末。
無駄なものなんてこの世にはない。
好きな考え方ですけれど、ほんとうにそうなのかしら。

ある日、庭に見たことがない草が生えていました。
たぶん雑草だろうな、と思いつつもなんとなく生かしておくことに。
後にヨウシュヤマゴボウと判明したこの植物は、予想以上のスピードで大きく成長し、意外にも綺麗な白い花を咲かせ、やがてブドウのような色鮮やかな実をつけました。
感心するのもつかの間、この大きな雑草は根、葉、果実と全身に毒を宿した殺意の塊。もちろん果実が落ちる前に根っこから引き抜きました。

勝手に育って要らないと思ったら処分。
それでも、得体の知れない植物が日々大きくなっていく様を楽しみにしていた自分がいました。今日はどれだけ大きくなっているかな。どんな花が咲くのか、どんな実をつけるの?

雑草も花木も、生きる意味がもともとあるというより、他者が意味づけすることで価値が与えられているのでしょう。
(人間の意味や価値の考え方は瀬戸口廉也さんに影響を受けた部分が大きいですが、それはまた別の機会に)

そんでもって
話を自分に置き換え、自分自身の意味・価値、といわれると途端に分からなくなります。自分がいることで嬉しくなるひともそういないですし。
でも、庭を見るとなんとなくポジティブな気持ちになりました。
特に、あの奇抜な一手……ミョウシュヤマゴボウが記憶に残っていて。

分からないままでも一生懸命やろう、引き抜かれるその日まで。
わたしもあの毒々しい紫色の実を結ぶことはできるかしら。

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