十九、二十 8

https://note.com/ramenmenma/n/n6437930180f1

よかったら1からみてください

今日は、20年の人生で一番頭を使ったと思っていたが、家に入るときの挨拶までは頭が回らなかった。
「ただいま」
少し迷った挙句、この2週間ですっかり自然に出てくるようになってしまった挨拶を選択した。廊下を抜けリビングの扉を開けると彼女がベッドの上でほかの何も混じっていない純粋に驚いた表情で


「おかえり」

と返した。彼女の方もすっかり自然に出てくるようになってしまったようだ。きれい好きの彼女にしては珍しく昨日(正確には今日の朝)僕の家に来た時に着ていた服を脱ぎ捨てているようだ。メイクも落としてない。彼女の服を大股で超え、パジャマ姿の彼女が座っているベッドのほうに歩いていきそのまま抱き着く。その勢いで2人がベッドに横になる。


「え、今からするの?」

「ううん。ちょっとこのままでいさせて。」

無言の彼女。

「居酒屋でバイトしてるってのは嘘なの?」
彼女のへそに問いかける。
「うん。いまはもうしてない。」
「女優になりたいっていう夢は?」
「それは本当。」
「援交しているのは?」
「…それも本当。」
彼女がぽつりぽつりと、話し出す。


「3年位前、私が大学卒業してちょうど一年ぐらいたったころ、大きな舞台のオーディションがあったの。わたしその舞台の主役に選ばれて、その舞台の監督が、この世界では有名な人で私もすっごい尊敬してる監督さんだったからうれしくて。それで、稽古で何回か会ううちにその監督とそういう関係になったの。私は付き合ってると思ってたけど、あの人から見れば愛人みたいなものだったらしくて。私が主役の舞台が終わって新しい舞台が始まると、あの人は新しい舞台の主役の女優さんとまたそういう関係になって、私とはだんだん会ってくれなくなっちゃったんだ。それで、その人に家賃とかも払ってもらって稽古してたからおかねなくなっちゃってね。最初は1回のつもりだったんだけど、あまりにも大きなお金を短時間で稼げるし、居酒屋でバイトながら稽古してた時はほとんど寝られなかったから、、、やめられなくってね」
何と言っていいか分からなかった。
「軽蔑した?」
軽蔑出来たらどれほどよかっただろうか。こんなあばずれ野郎社会のごみじゃないか、と思えたらどれほど楽だっただろうか。僕に財力があれば、彼女を救ってあげられただろうか。己の無力さを感じざるを得なかった。

「僕が「援交」をやめてくださいってお願いしたらどうする?」
「ん~。もう私も若くないしあの頃みたいに夜遅くまでバイトするのは無理だから演劇はすっぱりあきらめて就職しようかな。」

そう言う彼女の顔は、「私の演技で世界を変えたい」と語ってくれた顔と同じとは思えないほど悲しみにあふれた顔だった。自分がきっかけで一人の人間の夢をあきらめさせる。責任を負うというのはこんなにも重いのか。僕にお金があれば彼女の夢を一生追い続けさせてやれただろうか。今は自分の無力さを恨むことしかできなかった。
見上げると彼女と目が合った。彼女はこの世から戦争はなくならないことを知った少女のように、モナ・リザよりも悲しそうに笑った。衝動が抑えられなかった。


彼女の舌に漂うほかの男の残り香を上書きするように、彼女の口に半ば強引に舌をねじ込み、舌の神経細胞を一本一本上書きするかのように執拗に舐りまわす。


「結局するんじゃん」


僕の二の腕を枕にして、此方を向き、いたずらっ子のように笑う彼女は、あのベッドに手招きした彼女によく似ていた。

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