十九、二十 4

よければ1からみてください。


大きな液晶テレビが壁に掛けられている。それぞれ違う色の衣装を纏った4人組の女性アイドルが手羽先を食べながら踊る珍妙なミュージックビデオが流れる。カラオケに来たのは何年振りか。カラオケの作法など忘れてしまった。空調の音だけが流れ、時間にするとほんの数秒がとても長い時間に思えた。居心地が悪くなったのか彼女が口を開いた。
「あ、、じゃあとりあえず私歌いますね」
「あ、、はい」
気を使わせてしまって申し訳ないなあ。
「それにしてもカラオケなんて久しぶりです」
「僕もなんですよ。もう何年振りか。あ、、コートもらいますよ」
彼女が着ていたトレンチコートを受け取りハンガーに掛ける。街はすっかりクリスマスムードで、まだ12月に入ったばかりだというのにそこかしこで色々な絵柄のサンタがそりに乗っていた。
 歌を歌うためだけに作られた空間で彼女がタッチパネルを操作する音だけが響く。
「なに歌うんですか?」
「んーとなんかこういうのって迷っちゃいますよね」
そういって困ったように笑った。かわいい。
 

「とても楽しかったです。誘っていただきありがとうございました。」
彼女は満足そうにパンケーキをほおばりながら言う。
「ここのパンケーキおいしいですね!」
お互いに甘いものが好きということで、このあたりで有名なパンケーキを食べようということになった。つつくとプリンのように揺れるパンケーキが僕と彼女の目の前にある。パステル調の店内に居心地の悪さを感じていた僕であったが、ひとたび口に運ぶとそんなことなど忘れてしまった。甘いものを食べているときは甘いもの以外のことを脳内から排除できるのでついついよく食べてしまう。ふと彼女の方を見ると、彼女はふわふわのそれを丁寧にナイフで切り分け、とてもしあわせそうにフォークを口に運んでいる。僕には彼女が幸せという概念を食べているように見えた。
概念すらも食べてしまう彼女について、もっと知りたくなった。
「お仕事は何されてるんですか?」
「私演劇やってて、今劇団で活動しながら居酒屋でバイトしてます。もうすぐアラサーなのに恥ずかしいですよね」
彼女は『演劇にのめりこむきっかけ』、『劇団のうっとおしい先輩』『バイト先の面白い同僚』など様々な話をしてくれた。彼女の話は、どれも今まで僕が生きてきた世界とは別の世界のようでとても新鮮だった。自分がいかに狭い世界で生きてきたかを痛感させられた。少しずつ距離が縮まっていたような気がしていた彼女が、少し遠く感じた。


外へ出ると、まだ6時前だというのに空は暗くなっていて、街路樹に飾られたクリスマス仕様のイルミネーションが赤と緑に輝いていて僕の恋を後押ししているように見えた。今までは税金のの無駄としか感じられなかったこの光も、誰かとみるとこんなに輝いて見えるのか。
「あ、、送っていきますよ」
「あの、、少し飲んでいきませんか?ちょっと飲みたい気分なんで」

そう言って笑う彼女を、彼女の後ろで光る街灯の光で直視できなかった。僕にはそれが後光に見えて、(ああ、彼女は天使じゃなくて仏様だったのか)と妙に納得してしまった。


彼女がベッドの脇にあるスイッチをつけると部屋の真ん中にある無駄に派手なシャンデリアが僕の存在を否定するかのように僕を照らす。
こいつに対抗してここは自分の領域であるとマーキングをする犬のように煙を吐く
「タバコもらっていい?」
下着姿の彼女に無言でライターと白い箱を差し出す。自己嫌悪につぶれそうになり口から言葉が出る。
「あの、、なんかすいません。」
「お酒飲むと立ちにくいっていうし気にしてないよ」
否定も肯定もしない複雑な笑顔だった。彼女は今この部屋で唯一の中立な対場だった。こんな笑い方もできるのか。彼女のやさしさが余計に僕を苦しめる。
「明日は朝早いの?」
「いや、、特に予定はないですけど、、」
「じゃあさ、、」
そういって彼女はタバコの先を灰皿に押し付けて火を消しベッドに潜り込む。
「先に寝たら負けね。」
彼女はいたずらっ子のように笑うと、掛布団をめくりもう片方の手であらわになったマットレスをたたいてここに来るようにと催促する。
「うん。」
彼女が明けたスペースにもぐりこむ。
彼女とたくさんの話をした。生い立ち、家族、初恋、好きな物、嫌いな物、この日ほど安らかに眠ったのは後にも先にも無かったような気がする。僕は初めて家族以外の人間と一夜を共にした。

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