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そこに中指を立てる権利はあるか

善悪の判断と、自分がどう思うかという主観は、混ぜてはいけない。



とてもムカつく。こんな時期に飲み会をやるなんて間違っている。


髪の毛を目に悪そうな色に染め上げたり、自然な流れとは違う方向に捻じ曲げた大学生が品のない笑い声を上げながらレジに向かっていく。

彼らは無敵だ。他人がどう思うかなんて気にもしちゃいない。彼らの笑い声は、黒板に爪と突き立てた時の音と同じくらい不快だ。不快さを露にしたただの客である僕の顔を、彼らは気にも止めずに、不快で甲高くて下品な笑い声をあげている。

彼らは間違っているだろうか。

こんな時代に大人数で集まる彼らは間違っているだろうか。

買った缶チューハイをコンビニの駐車場で開けて酒盛りをしている彼らは間違っているだろうか。

彼らが間違っているのであれば、僕は大手を振って彼らのことを嫌うことができる。彼らに対して中指を立てる正当な権利を得ることができる。しかし、ここで彼らが僕の正義感を盾にした憂さ晴らしを受ける報いを本当に必要なほど彼らは悪なのだろうか。

程度の差はあるにせよ、『不快だから』を理由に他者に対して異議を唱える場面を見る。特に最近よく見る。

『有名人の不倫に対して異常なまでに批判する人』
『献血のポスターに胸の大きいアニメキャラクターが載っていた時、必要以上に撤回と謝罪を求めた人』

これらの行為が正しいかどうかは、一旦置いといて、その批判の元は実は『不快だから』なんじゃないのかってのが僕の意見。

ルールを破った人間に、小石を投げ続ける人間は少なからず存在する。その小石が文字となって可視化できるようになった今、世界は正義感という名の憂さ晴らしで溢れている。

人間は間違える。時には偶発的に、時には意図的に間違える。だが、それが人間じゃないか。
思えば僕が生まれるずっと前から、人間は間違え、それを修正し、進化してきた。

『彼らが飲み会が間違っているかどうか』の判断は『彼らのことが不快である』という主観を除いて、行われるべきだ。

芸能人のスキャンダルが、『悪』か、そうじゃないかも、自身の主観を除いて考えるべきだ。

コロナ禍の飲み会も、ジェンダーに関する差別も、政治家の不祥事も、殺人も、万引きも、ポイ捨ても、不倫も、

全て主観を除いて判断すべきだ。

最近は「不快だから」という理由で誰かを貶めるような人間が多すぎる。
僕もその一人だから、あまり大きな声では言えないが。

この世に絶対正しいことがないように、絶対に間違ってることなんてない。

お前が不快だからってその価値観を押し付けるな。お前が気に入らないからって気軽に中指を立てるな。


中指を立てられた人にも人権はある。家族がいて、友達がいて、生活がある。もしかしたら恋人や配偶者がいるかもしれない。

そこに視野を向けられない人が僕は不快だし、不快であることを差し置いても、間違っていると思う。

僕は『自分のことしか考えられないバカ』に中指を立てる。

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