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ちょっと待ってね、一人づつ喋ってもらっていい?笑 わかんないわかんない。笑

情報が多い状況というのは、仕事でも、プライベートでも混乱を招く。状況、情報の整理をして、そのあとの行動をどうするか、それを決めるまでの時間をいかに短くするかが大事なはずだ。

ここに感情が乗ってくると厄介だ。

自分の感情は自分が思っている以上にコントロールできないし、かといって、同僚たちに私の事情など関係ないわけで、そんなことで気を使われることでさらに滅入ってしまう。

一人だと不安で、そばにいてほしいけど、気を使ってほしいんじゃないけど、あなたの時間を割かせてしまうなんて。

一つ目は喜ぶべきものだった。前の会社を躁うつで辞め、学生の時にバイトをしていた今の職場にフリーターで戻ってきてから早2年。社員の合格通知が来た時、確かに私はうれしかったしほっとした。

しかし、時差7秒で同じくらい不安も生まれてきた。これからより責任が伴うこと、2年前に弱体化した私のメンタルがまた壊れないかということ、私って結局何がしたかったのか、少し前にはあったはずの、周りの為じゃなくて、自分のための欲望をみうしないかけてしまったこと。

手放しによろこべたらよかった。いつからこんなに生きづらい性格になってしまったのか。

二つ目は突然かつ混乱だった。母親に病気が見つかったのだ。

私の家庭は、私が小学2年の時に離別している。祖父は3年前に他界、叔母は海外在住で、母は医療関係の仕事をしながら、週に1度祖母の顔を見に行っていた。私は実家で母とずっと暮らしており、もう少ししたら一人暮らしでもしようかと思っていた矢先だった。

母に病気が見つかったのは文字の如くたまたまだった。腸の内視鏡検査をしたところ、本来早期での発見が難しい癌を早期で発見することができ、治療することができるそうだ。本人は事務報告のようにわかりやすく、しっかり教えてくれた。

表情から受け取るに、そんなに重くないのかもしれない。が、普通、「手術」というワードには構えてしまうのではないだろうか。しかも怖くて聞けなかったが、「癌」。自分が、どう立ち振る舞えばいいかわからなかった。いや、今もわからない。

改めて社員としての入社を控えていたこともあり、念のため上司に報告しておかなければならなかった。この時初めて私は自分が混乱しているということを自覚した。頭が真っ白になって言葉が詰まって、涙が出そうになるなんて思ってもみなかったから、そのあとは感情の処理に困ってしまった。さすがに上司にも悟られたのだろう、帰り際、何も言わずただうなずいて、グッとしてくれた優しさが温かかった。

大げさかもしれない。いや、大げさならそれでいい。万が一さえなければそれでいい。

三つ目は私の欲だ。でもこれは否定できない。否定しないことが希望なんだと思うから。2つ目に伴い、趣味のよさこいの、仙台でのお祭りを見送ることになった。

たかが趣味だ。大切だと思う人のなるべく近くに、事が収まるまでは居たいと当然のように思う。だが、感情は一つじゃないときの方が本来多い。

職業柄、あまり練習には参加できなくなってしまったものの、19の時から6年在籍しているチーム。コロナも明け、みんなとだから踊りたいと思い、続けてきた。1つでも多くのお祭りに出たかった。みんなと同じ景色を見て、そのたびにここが好きだと感じる場所だった。今の作品が踊れるのもあと2回。私には1回1回が貴重で、希望だった。

この期に及んで自分のことを考えていて、親不孝極まりない。母のそばに居たいし、祭りも出たい。でも、後者を選んで後悔することがあるならば、私は立ち直れないと思った。欲は欲、どちらも欲、私の感情に内在している。否定はされないし、他人事のように「サイテー!」と言えばいいともう。

ところで私はこの3件への感情を処理しきれていない。言語化したことである程度のあく抜きにはなったかもしれないが、私の気持ちのキャパに入れるにはずいぶん規格外の物品である。それ以外もちょこちょこストレスやら、気づかれやら。だから私生きるのそんな上手くないって言ってるじゃん…



早くすべてに凪が訪れますように。


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