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気持ちも天気もバランスとか取れないねって話

比較的、人との距離感は上手にとってきた人生だったと思う。来るものを拒まず、去る者を追わず、自分にとって違和感を感じる相手には、相手に悟られないようにじわり、じわりと一歩ずつ身を引いていき、この距離感なら大丈夫、そういう地点まで下がることができた。得意だった。

ただそれは、教室の中でしか通用しないものだった。

職場という箱の中は、教室とはどうやら構造が違っていて、うまいこと距離感をとることができない。仕事をするには物理的に近づかなきゃならないらしい。

ならば、別の手段をとろう。自意識から切り離し、これはあくまで仕事、自分を確立しながら、まるで世界情勢のように人の勢力均衡を保ってもらおう。そのために、この箱の中で自分の席は…あ、でも人の気に触れすぎると疲れてしまうから、そこは適宜距離を取らせてもらって。

あれ、なんだか、「気を使わない」ようにして、実際気にしてないけど、気にしないようにする防衛政策をしすぎて逆にキャパオーバーしてない…?

今までだったら、ちょっとおもしろい話を聞けば、本を読めば、体を動かせば、エンターテイメントを消費すれば、おいしいものを食べれば、話を聞いてもらえば、あっという間に「あはは、まじどうでもいいな」に持って行けてたのに、ずっと心臓の下の方で蠢いているモヤ。

ほんとにね、実際問題、どうでもいいことなんかわかってるんですよ。この人に割く感情なんか持ち合わせてないことも、自分に関係ないことも。ただ、それを言い聞かせすぎたのか、わかったふりになっていたのか、ずいぶんと長い間、自分の正直な感情から目を逸らして、ストレスに気付かないまま梅雨明けしてしまっただけなのだ。

6月は毎年心身ともに不調になる。それがわかっているから、5月末から6月に備えるようにしている。が、拍子抜けするレベルで雨が少ない。良い天気、むしろ鬱陶しいくらい熱い梅雨。

7月に入って、梅雨明けでもうよくないか?と言う気候、1週間のシドニー滞在、雨どころか雲一つすら見ることがない、20度前後の過ごしやすい気候。豪雨の話など、ネットニュースで見ても現実味がないほどだった。自分ごとに思えないとはこういうことだ。

帰国後は、帰ってくる前にさんざんみんなから言われた「地獄だよ」というレベルの猛暑。どうやら職場では相当数熱中症で倒れているらしい。災害級の猛暑、まさに地獄。ただ、低気圧と相性がすこぶる悪い私は「晴れてるだけマシか、あ、細田守みたいな積乱雲」それくらいのテンションだったと思う。

自分の感情の異変に気付き始めたのは梅雨明けしてからだった。おかしい。感情だけまるでずっと梅雨。そしてそれは体にも現れた。朝起きてまるで体が動かない。

「あ、無理だ」

気が付いた時には表面張力が決壊していた。なんでこんなことになった、あれもこれもやりたい今日だった。でももう思考も、体も何も動かない。きっかけはどこだ…?どこで自身のコントロールを間違えた…?

「今日は一日中雷の予報だからね」

そういわれた日、もういつ振りかわからないほどのゲリラ豪雨に見舞われた。水の量と、たたきつける雨の音に思わず凝視してしまう。ああ、これだ。雨が降らなくちゃいけなかったんだ。

私はきっと、もっと上手にしようとしなくて良かったし、雨は今のところ私の周りで悪いもんでもなかった。

とはいえ、すぐに解決すっきり!とはいかない、これを上手に食べれるようになりたいものだ。

あー、もう本当に面倒くさい。

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