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70歳で初めて長編劇映画を撮る●映画編集に苦しみ悶える / 千里の道も一歩からだよ


編集に苦しんでいる。
喉元過ぎれば熱さを忘れる、という。
病気が治れば、苦しい感覚を思い出すのは難しい。
今のうちに何が苦しいか書いておこう。

〈編集の基準とは何か〉
苦しい……といっても、編集自体は楽しい。
なんなら編集のセンスやら、才能やらは「ある」と感じている。

なぜその自己評価がでてくるかというと、「何がしたいか」はつねにはっきりしているからだ。
AとBのカットどちらがいいか、と聞かれればその場でつねに明確に選んでいける。

これは料理でいうと「味がわかる」ということになる。
自分の基準がある、ということだ。

だから、編集技術のある人につきっきりで「ああしてくれ、こうしてくれ」といって仕事を進めることもできるだろう。その判断はできる。

〈編集の依頼をなぜしないか。そして一流、二流、三流〉

それをしないのは、一つは予算の都合である。
(しかし、高性能パソコンその他、ひょっとしたら人に頼めるかもしれないくらい投資してしまった)。

もう一つは人に頼んでも、コミニュケーションがうまく行くかどうかわからない、ということだ。
人探しの段階でギャラと仕事量のことなど、けっこう気を使う。
そこがうまく行ったとして、その先の表現上のことだ。
一流の人に頼めれば、こちらが求めていることを理解した上で、その先の提案をしてくれるだろう。

うまく言葉にできないでことまで汲み取って形にしてくれたら、その人は一流。
言葉にしたことを実現してくれたら二流。
言葉にしても理解しなかったり、実現しなかったら三流。

ということになる。
(僕自身が他人様をランクづけるようなタマではないので、ま、これは話の流れである)。

〈業界の中にいれば〉

人に何かを依頼するのは、複雑であり、リスキーであり、面倒臭い。
雑誌の編集者であったときはたくさんの依頼をした。
業界の中にいれば、この点は楽である。
さまざまなつながりの中で相手の実力、その他の評価はおよそ定まっている。
相場もだいたいわかっている。
何が得意かとか。
それまでの作品とか。
性格とか。
思い当たる人がいなければ、信頼できる人に「誰かいない?」といって紹介してもらえばいい。
初めての人でも、その人を介することで、自分のほうもある程度の信用を得ることができる。

ところが僕は全然映画業界の中にいない。
99パーセント、アウトサイダーである。
上記のような業界人の特典、財産は何もないのである。

どんどん話が脱線したが、まあ編集を自分でやることにしたわけだ。

〈final cut proを導入して自ら苦しむ 〉

何が苦しいか。
編集ソフトが使えない! 覚えられない!

いま、YouTubeにいくつも使い方の動画がいくつも上がっているわけだが。

あれでスイスイできると思ったら大間違い。
見ても、あれ、ここどうするんだろう?
という疑問が次々に出てくる。
この疑問の答というのがわからない。

final cut pro の前は、Filmoraというのを使っていた。
これは安価である分、機能も少なくシンプルで覚えやすかった。
このソフトについてはテレビ電話で教えてくれる人がいて、助かった。
ただし、ファイル管理で混乱してしまって、作ったのが一部吹っ飛んでしまったりした。

動画ファイルをパソコン内で移動すると、「ファイルがありません」になってしまうのだ。
それと、どんどんバックアップ的なものができてくるのも怖かった。
要するに「何が起きているかわからん!」的なパニックに近いものが起きた。

長い間のMac党としては、final cut proに移行すれば、もう少し直感的に把握できるものがあるのではないかと甘い夢を見た。
全然!
そんなことないっ!
直感的操作でうまくいくことは何一つない!
一つ一つ覚えなければダメで。
覚えたと思っても不完全で。
疑問やイレギュラーなできごとが起きて。
知りたいことがどこにあるかわからない。

YouTube見て。
本も三冊手に入れて。
検索もさんざんして。

それでも疑問が解消しない。

そういう状態が続いている。

〈一つ知るのに2時間かかる〉
出演女優のYさんは元IT系なので、final cut pro を見てもらった。
そうすると、調べて一つの操作や概念を知るのに2時間くらいかかる、と言っていた。
そして、要点は

最後には「必ずわかる」と信じていること。

だそうである。

そうかー。ITのプロは淡々と調べたりしてものごとを進めて行くのだなー。
プロだからすごく早くわかる近道はないのだなー。
(勘の良し悪しはあると思う)。

僕は1つを調べるのに2時間は耐えられない。
頭かきむしりたくなってしまう。
しかも今すぐにでもしたいことは目の前にあって、それが毎回中断されて回り道になった感覚がある。
そして、答は知ってしまえばたぶん単純なところにある。それがわからないのがイラつく。
僕は人に対してはイラつかないほうだが、コンピュータに対してはすぐにイライラしてしまう。
苦手意識があるのだ。
イラついて淡々と調べることができないから、「必ずわかる」とは信じていない。

我ながらスジが悪い。
昔からの性格だ。
物事を乱暴に進めてあとでかえって面倒になる。
結局効率が悪い。

人よりていねいにできる領域もあるけれど(文章を書くとかね)、コンピュータ関係とか、技術的なことは苦手だ。

〈人的情報は貴重であり、便利である〉

つまりねー。
こういうことは人に教えてもらうのがいいね。
2時間かかる調べ物が、3分で解決するかもしれない。
そんなに高度なことがわからないのではない。たぶん超初歩的な疑問だから。

編集のアシスタントとか経験して、単純作業から自然に覚えるのが理想的だ。
人的な情報というのは、ピンポイントで知りたいことが返ってくるから。

ネットや本の情報は、いくら大量にあっても、その中から必要なものを探し出すのがたいへん。
一見網羅的な情報に見えて、全然網羅的ではない。
final cut pro の機能は多様多岐に渡っている。
いきなりゼロから始めるのはかなり無謀かもしれない。
ずいぶんと便利はなってもやはり専門家の領域である。

〈止まらない限り絶望はない〉

なんか恐ろしいほど長々と書いたけど、つまり今はかなり困った状態だ、ということを記録しておきたかった。

それでも後ろには戻っていない。
毎日かたつむりのように前進している。
昨日よりは今日のほうが数ミリ進んでいる。

スタッフ探しのときもカメラマンと女優さんがネックになって、半年以上停滞していた。
でも、その間も自分の中で映画は熟成していたと思う。
今もなにごとかを感じたり吸収したりしている。
やめてしまったり、止まらない限りは絶望ではない。
そのうちに何かよい道が見つかるだろう。

一通りのことを覚えて、次第にスイスイと編集できるようになる日を夢見ている。

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