見出し画像

私の自己紹介【らるふコミュニティ主宰】

初めまして。
らるふです。

体が弱くて、ビビり。
何もできなかった幼少期。
そこからクラスで持久走1番になったり。
生徒会長したり、キャプテンしたり。

両親離婚したり、借金背負ったり。

社会人になってから。
FCオーナーしたり、教育系企業で働いたり。
現在は生活困窮世帯向けの学び居場所支援。
マネジメント、カリキュラム作成、研修を担当

今回は、そんな私の今までについてご紹介!


音声で聴きたい方は以下リンクから確認できます。

2023年12月28日(木)
幼少期~中学生編

2023年12月30日(土) 
高校・大学編

2023年12月31日(日) 
社会人編



私の年齢と客観的なデータ

1996年生まれ。年齢は、27歳。
年齢の割に落ち着いてると言われる。
自分でもよくわかってない。

客観的なデータとして、ストレングスファインダーの結果を掲載。
top5は以下!(2023年12月31日最新)
1,最上志向 2,成長促進 3,アレンジ 4,着想 5,内省

生まれたときの話し

東京都足立区。父母妹と私の4人家族。
私はあまり自信が持てず、何にも興味を持たず
「本当にこの子は大丈夫か」って言われる
笑わない、何考えているかわからない。
どんくさい、ビビりで、話すのも苦手。
すぐ泣く。
そんな子だったみたい。

流されまくる幼稚園生

体も弱く、喘息も発症。
体力皆無。何見せても無反応な子ども。

幼稚園初日。
母から手が離れた瞬間に、泣きじゃくる。
幼稚園の先生も困惑していた。

そんな時期。
5歳の七夕。
全然書くことがなくて。

隣の子が短冊に「サッカー選手になりたい」
と書いていた。

よしこれだって真似したら、
親が、サッカーやりたいと勘違い。

サッカーチームに突如入れられる。
以後13年間続けることに。きっかけは突然だ。
サッカーと共に成長してきたようなもんだ。

光が見えてきた小学生時代

思い出はオレンジのキャンピングカーで行ったキャンプ。
あの二度見される経験は一生忘れないだろう。
※両親ともに「人と違うことを気にしない」スタイル
今の自分に確実に影響している。

〈初めて自信がついた持久走〉

体力なくて、たまに学校休んでいた。
そんな頃、小学3年生。
冬のマラソン月間の時。
友達と走らず、学校ついてから
音楽鳴り止むまでの15分ぐらい。
1人でコツコツ、コツコツ走ってたら、
なんか走れるようになって。

「あ、自分できるかも」って思って、
続けてたら、クラスでいつの間に1番になっていた。
初めて、自信がついた日。

〈ありのままの自分が認められたあの日〉

当時から「この子といつも一緒!」という感覚がどうも好きになれず。決まったグループに所属せず、どんな人とも「いい距離感」つかみながら満遍なく話すことが多かった。

そのため、ちょっとクラスで浮く子とか
学校つまらないって子と話すことも多かった。
※どうやらこれは今も昔も変わってないらしい。
この間小学校の同級生に言われた。

エピソードとして
小学5年の時、保護者から感謝の電話。
「〇〇くんと隣で、娘がめっちゃ楽しいと!ありがとうございます」
と言われたことを鮮明に覚えている。
これは、いい経験だった。
特別何かしていたわけじゃないけど、感謝される経験っていいですよね。

自分らしさに悩んだ中学生時代

学校では生徒会長。
外部のチームではキャプテン。

授業後
生徒会(16:00-18:00)
クラブチーム(19:00-21:00)
そんな中学生時代。

〈学校生活:噛まずに読めない会長〉

幼少期の自分から進化してるわけもなく
人前で話すのもとても苦手だった。
「カミカミ会長」と言われるぐらい。
ただ「どうせならやるか」ぐらいの気持ちで
やってみようと思い、挑戦。
※「人と違うことをしよう」という親の影響

かみかみだったのは卒業まで直らなかった。
ただ少しチャレンジができた。
当時の校長がすごい素敵だったから。

「こういうのやりたいです」って言うと
区の助成金に応募。倍率なんと30倍を通過。

言ってみるもんだなぁと感じたのと
同時に「巻き込む大切さ」を学んだ。
そして「とりあえず、やってみよう」
と思えるようになったきっかけ

〈不良たちを統率するビビりキャプテン〉

学校にサッカー部がなくて。
地元のクラブチームに所属。
クラブチームでは不良少年が数名。
昔から、ビビりな私。
でもキャプテンだった。指名された。

しっかりしないとなと思い。
朝練の時は、家まで起こしにいくことも。

1人の不良少年には、私が勉強も少し教えていた。
いろんな相談乗った。高校行く気なさそうだったけど高校も行けた。

もちろん、最初怖かった。
それでも一緒にゲーセンいったり
不良仲間に紹介してもらったり(笑)

この時期、学校ではもやもやしていた。
ただ、クラブチームに居場所があった。
私にとって、とても救いになった。

~そんな彼との一番の思い出~
「夏の暑い日のサッカーの練習終わりに、自販機でカルピス買って、自転車こぎながら好きな子の話しをして盛り上がっているとき」
何が面白いのかわからないけど、話していた。

どんな環境で育っても、繋がるところはあるんだなと感じたエピソード

〈朝帰り少女と対抗する母〉

妹が朝帰りすることが増えてきた時期。
当時、妹が朝帰りした後の話し相手は、私。
仲良い兄妹だったのかなと。
今はわかりませんが。

母、ガラパゴス携帯を2回折る
母、小型ステレオを妹に投げる
というエピソードは一生忘れない。
※実際にぶつけてはない!

元々優しい性格の母なので、叱り方が迷走。
携帯ってこんな簡単に折れるのかと感じたあの日

〈自分らしさの迷走〉

学校でも、クラブチームでも
「しっかり者」というイメージ。

正直一生懸命やっていたからだけど、小学生の時あった「らしさ」は消えていた。

「頑張らなきゃ」が先行。
誰にも相談できない。
多感な時期だったのもあって、心の余裕もなく。

「巻き込む大切さ」気づいていたはずなのに
周りの同級生とはうまくやれない。
そんな中学時代。

大きな挫折を経験した高校生時代

中学とは違い、楽しい男子校生活が始まる。
勉強は、身に入らず、サッカーだけに打ち込む。

〈挫折しかない部活人生〉

1年生の時、公式戦に出て、前半15分で交代。
2年生の時、一生懸命だが、なかなか結果は出ず。
そして3年生。掴んだスタメン。
3大会中2大会「自分のせいで負けた」と思い込む。その後のプレーに影響。

最後の大会でベンチ外。

さすがにもう続ける気になれず
サッカー人生終了。

結論としては、下手だっただけ。
でも、もっとやれたなって今も思っている。

高校時代は、本当サッカーしかやっていない。
ただこの時の仲間は今でも会うことが多い。
素敵な人が多い。

コントロールできない大学時代

13年間続けていたサッカーから離れて。
ずっとゲームかYouTubeでアイドルの動画観てましたね。そんなこんなで。

受験勉強もそこまで身が入らず。
MARCHと日東駒専の間ぐらいの大学に入学。

華やかな大学生活!というわけでもなく
大学では、サークル・バイト・ゼミに打ち込む。
そして、直面したくなかった「家庭環境の変化」

〈アカペラにチャレンジ〉

~全く違うことをしようと思ったシリーズ①~
アカペラが直感的に面白いと感じて、入る。
そもそも運動しかしてなかった私。

「文化部の子の視点が全く分からないな」
「どんな感じなのかリアルで知りたいな」
そう思った。それが理由の一つ。

もちろん、その時に合った雰囲気も良かった。
大学の新歓って、先輩たちから声をかけられる。

急に声掛けられて、教室に連れていかれ
突然歌い始めたんですよ、2個上の先輩が。

その時にあった空気感がよかった。それも理由。
最初は距離感わからなすぎて、本当に困った。

その後、学年ライブのプロデューサーやったり、サークルライブに出たり。その時に出会えた人たちも、素敵な人が多い。今でも一つの居場所。

~「ニッチ」を狙った戦略~
アカペラサークルに入ったのは良かった。
ただ、音楽経験のない自分はどうしようか。
吹奏楽部でした!合唱部でした!という人が多数

何かないかなって思って。
サークル内のバンドにたくさん顔を出した。

「もしかすると昭和歌謡ならいけるか」
「ちょっと目立つバンドとかないな」

そこから、とある動画を見つけた。
「め組の人」
Tiktokで流行る、数年前。
「めっ!」ってみんなでできるのが、面白い。
これをみんなでやったら、その時点で勝てる。
そう思った。

とはいえ、仲間がいないとバンドはできない。
そして私は楽譜が書けない。そこで、2人誘った。

2015年の7月。あの時声かけてよかったな。
いいよ~って言われて、8月に結成して。

学祭デビューして、なんやかんやあって、卒業までずっと活動。

すごい盛り上がるメンバーではない。
ただ、私にとっては居場所。
※ちなみにメインボーカルだったので、大学1年の時は隠れて1人カラオケ行きまくって練習してたのは内緒🤫

〈挫折から始まったバイト生活〉

実は、初めてのバイトを1か月半でやめている。
居酒屋のバイト。
思いっきりビールをぶっかけてしまった。

個室で、隣に女性がいたから怒鳴られずに済んだが、かなり大失態。

あと従業員がとても苦手で…
仕事向いてないのかなってかなり萎えてた。
二度と「トレンチ」は持ちたくない(笑)

そのあとのバイトは「輸入雑貨屋」
~全く違うことをしようと思ったシリーズ②~
これは3年半続けた。
めっちゃ楽しかったな。

雑貨屋ですが、化粧品を扱っていた。
だから、少し詳しくなった。
女性と話すとき、わかるから抵抗感がない。
ちょっとしたメイクの変化もわかることは多い。

クリスマスは4連勤。ラッピング祭り
大量のプレゼントを捌くのが何より面白かった。

あと、商業施設の中で、
クレジットカードの新規申込ってありませんか?

あれを店頭でもやっていて。
当時1件獲得すると、500円券がもらえた。
月間で18枚ぐらい獲得。施設内トップでした。「やりきればできるんだ」そう思えた出来事。

〈ゼミの教授との出会い〉

大学入って、半年ぐらいモヤモヤしていた。
「あ、みんな遊んでいるな~」と。

それがしたくなかったとかではなく、このままでいいのかなと。
一生懸命さでサッカーや取り組みをしていた私。
何となくギャップを感じていたからだ。

その時受けた「経営学基礎」
経営って面白いなぁ~と思い。
教授の雰囲気も落ち着いている。
2年生からこの教授のゼミ受けたいなって。
ただ、人気のゼミ、かつ学科が違う。
ちょっとハンデかなって思いながらも、挑戦。

テーマは「パワーアップに貢献できること。」
894字の想いをつらつら書いて。
1.5倍の審査に見事合格。
当時のメモが残っていたので、載せる。

ゼミの提出物
※ところどころ、国語力がない。そして過剰な文章。
恥ずかしい。

イノベーションのゼミ。
比較的自由度はある。
色々自由にやらせてもらいました。
ゼミ大会では、2年生の時、準優勝。

〈突然の両親離婚〉

両親離婚。
自分ではコントロールできない問題が発生。
自分の未熟さを痛感。
語り始めたらキリがない。

正式に離婚が成立してからも大変。
お金出した、出さない。
昔はこうだった、ああだったとか。

人間なので、仕方ないんですが。
当時は辛かったなぁ。
今も借金あるけどね。〇千万円のローン。
早く返済しないとなぁ…

〈自分の未熟さを味わった就活〉

両親離婚もあり、いい会社に入りたいって思い。
大学3年生から、インターンも行って。
時には東大・一橋・早慶に囲まれてワーク。
着実に自信をつけて、就活本番。
見事に、撃沈。

自然と"思い込み"があったんだなと。
影響は「家庭環境の変化
誰に相談しても無理だろう」と思い
いつの間にか、相談することをやめ。

殻に閉じこもっていた。
周りからは、そう見えなかったかもしれない。
味方が、味方に見えなかった。
大学生活。

チャレンジの連続 社会人生活

〈身も心も成長したオーナー時代〉

新卒で会社に入ったが、温度感が合わず退職。
個人事業主としてフランチャイズのオーナーに。
そう決断した後、コロナ流行。

銀行の融資も決まっていて、もう逃げれない。
元々顧客がいる店を引き継ぐ予定だったのに。
0名になっている現実。

ここで諦めず、やりきろうと。
やっとの思いで初月で黒字化。10名以上集めた。
ただ、長く続かず。実力不足で挫折。

店を閉めることを決めた時。
優しかった顧客が、ブチ切れる。
訴えるとまで言われた。
1人、家帰って泣いていた。
1人ってきついなと思った24歳の挑戦。

〈教育系企業時代〉

そんなこんなで、サラリーマン復帰。
新規事業部で、入社半年後で社長賞
その後は、事業の何でも屋さんになった。
一通りの経験はさせてもらえたなぁ。
※ここの話しはまた別でnote出します。
営業で実績出して、新規事業部でマニュアル作ったり、営業マネジメントしたり、仕入先と交渉して、利益出せるようにしたり、事業の0-1を何でもやりました。

〈教育の幅との出会い〉

勤めていた民間企業。
主に学校ににサービスを売る。
でも公立高校には予算の都合で、売れない。
どうやったら届くのかな。
ふと「教育の幅ってあるな」と感じた。

「生活困窮世帯」
私は、大学生の時辛かったけど。
そもそも生まれた時から自分でコントロールできないことが
当たり前だと思って、生活している子もいる。

純粋に知りたいなって思い、業務委託で参画。
その半年後、正職員。現在に至ります。

〈出会い・そして新たな挑戦〉

コロナで1人で挫折したとき。
「人との繋がりって大事だな」と感じた。
それに失敗したから
一歩を踏み出すことにハードルがあった。

そんなある日、
上司から「SNSで発信とかやらないの?」
と言われた。別に意味はなかったらしい。

ただ発信力があれば
「何か伝えたい時、誰かを助けられるかも」

実は、SNSは得意ではない。
ただ、将来考えたらなぜかやる気になる。
6月末にアカウント作成。

そしたら、タイムラインに流れてきたお知らせ。
面白そうだったから、そのコミュニティに入会。

入会したら、黄色いゾウのセミナーお知らせ。
それにも一歩踏み出す。

そこからいろんな人と出会う。
この出会いは本当に「宝」
おかげで毎朝6時頃に投稿し続けている。

ちなみに入っているのは、40代のコミュニティ。
なんで歳上のコミュニティに入っているか。

純粋に「知らない存在」だったから。
もっと「解像度上げたい」と思ったから。
楽しい40代っているのかな?って思ったから。

【結論】
人生楽しんでいる人はたくさんいる。
あとは、自分次第

20代で知れたことが最高。
教えてくれた皆さんに感謝。
最高の将来になるように、これからまた走る。

2024年から新たな挑戦へ

何もできないところから、少しはできるようになった。
辛いことも経験し、大事なこともちょっとわかってきた。
だからこそ、ここからもう一歩。

2024年を飛躍の年に。
コミュニティ開始。事業開始。
同年代の"才能"開花・そして未来の子どもたちのために。

無料相談受付中

最後に

最後読んでいただき、ありがとうございます。

 私自身、両親離婚を経験し、新卒の大切な時期は力不足で結果が残せず、その後経営にチャレンジするも、コロナ禍に巻き込まれる。

それでも転職先で、出会った上司が素敵で。
やろうと思ったことを信じてくれて「結果にも繋がり」

その後自分でマネジメントをしたり、
事業や商品を新たに作る楽しさを見つけたり。

 ただ、そこで感じたことがあって。
「ヒト」は会社は選べても、上司を選ぶことはできない。

 それでも「自分らしさ」を突き詰めることができたらいいのにな。
そう思い、活動を始めております。

『それってあなたにしかできない強みだよ!』
『あなたがありたいことってこういうことかもね』

そんな経験を皆さんとして、成長していく姿をたくさん見たい。

 私は「大企業、ベンチャー、NPO、個人事業主」
と複数の仕事のあり方を経験しながら、
人として「どうありたいか」をずっと深めてきました。

 「人には必ず才能がある」私はそう思っています。
圧倒的な寄り添いは誰にも負けません。

無料相談から受け付けています。
いつでもご相談ください!

よろしくお願いします。


~お知らせ~
小学校で特別授業を行いました!

▼セミナー開催予定

▼無料相談はこちらから!


この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?