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天地創造❹第一日〜第三日

創世記1章1節~2節まとめ

はじめに神が天と地を創造(バーラー)された。
地は茫漠(トーフー)として何もなく(ボーフー)、
闇が大水の面の上にあり、
神の霊がその水の面を動いていた。
創世記 1章 1〜2節

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前回までは、創世記1章1節2節まで見てきました。
今日から、創世記の第一日目を見てみたいと思います。創造の働きとは一体どういったことなのでしょうか?

第一日

神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。
神は光を良しと見られた。神は光と闇を分けられた。
神は
光を昼と名づけ
闇を夜と名づけられた。
夕があり、朝があった。
第一日。
創世記 1章 3〜5節

まず、ここで神様が「光りあれ」というと光が存在したと書いてあります。では、光とは何なのでしょうか。もしも、物質的な光、つまりフォトンを創造しただけでなく、そこに秩序を造り出したとすると、神様は何を造りだしたのでしょうか。

5節には光を昼と闇を夜と名づけたとあります。つまり、第一日目に神様は昼と夜という秩序を造りました。光と闇との分離は、この世界に初めて、「時間」という秩序を造ったということになります。ここで初めて、「時」という概念が出来上がります。

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時間という秩序の創造(バーラー)これが、神様が第一日目に行われた御業でした。物質的なものよりも、そこにある意味や機能、そして秩序を組み立てていくのが創世記1章の話です。

第二日

神は大空を造り、大空の下にある水と大空の上にある水を分けられた。
すると、そのようになった。
神は大空を天と名づけられた。第二日。
創世記 1章 7〜8節

この箇所は、「物質を造る」という観点から創世記を考えてきた西洋キリスト教において、とても難解な箇所となっていました。これは、前回も述べた通り、創世記を科学の本として扱おうとしたことに原因があります。特に、古代人の考えでは、私たちの生活のスペースの天井には水が張っていて、陸の周りは水で囲まれているという世界観がありました。ではここで神様は、どのような機能・秩序を造ったのでしょうか。

まず、考えなければいけないのは、始めの状態の地というのは水で覆われており、生物が生存する領域が存在しないことを考えなければいけません。そこで、神様は上の水と下の水を分けます。水を分け空気などが存在できる環境を確保しています。そして、私たちが今でも重く意識しなければいけないことは、私たちの命は「適切な雨が降る量」によって成り立っているということです。これが、少なすぎれば私たちは餓死しますし、多すぎれば洪水で死んでしまいます。

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つまり、第二日目の創造とは「天候という秩序の創造」と言えます。第一日には時間を第二日には天候を造ったのです。

第三日

神は仰せられた。
「天の下の水は一つの所に集まれ。乾いた所が現れよ。」
すると、そのようになった。
神は乾いた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。
神はそれを良しと見られた。
神は仰せられた。
地は植物を、種のできる草や、種の入った実を結ぶ果樹を、
種類ごとに地の上に芽生えさせよ。
すると、そのようになった。・・・・夕があり、朝があった。第三日。
創世記 1章 9〜13節

多くの学者は、第三日の創造の働きにおいて頭を抱えてきました。なぜなら、ここには「創造する(バーラー)」もしくは、「造る(アーサー)」という言葉が出てこないからです。天地創造において「区別する」という働きは秩序を造るということにおいてとても大切な意味を持ちます。ここでも、地や海を造ったというよりはそれぞれの機能を創造しました。そして、地を出現させ、その上に植物を生じさせます。

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第一日は時間の基礎、第二日は天候の基礎、そして、第三日は食物の基礎が出来上がりました。よく読んでいくと、前日に創造された秩序がなければ新しく造った秩序は機能しないこととなります。つまり、食物は天候(季節)がなければ種植えや収穫の時期が存在できません。また、天候・季節も時間がなければ存在できないのです。ここにきて、やっと生き物が存在できる環境が出来上がってきます。

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いかがでしょうか。物質的なものも大切だと思いますが、その造られたものたちの存在の意味や機能というのはさらに本質的なことを私たちに投げかけているのではないでしょうか。みなさんが、日常を見る時、その物質だけに心をとらわれずにその先にある本質を見て黙想する時間がありますようにお祈りしています。

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