くべられて

 先ほどまで眩しい太陽が上空に鎮座していたというのに、アイテム欄を眺めていたらいつ間にか星空に変わっていた。クランハウスの庭具である焚火がゆらゆらと綺麗に描かれたポリゴンを揺らしている。
「あのね、木野さん。何回も言っていると思うけど」
 注意を受けた勤務中の事を思い出す。思い出すことをどうにか止めようとするけれど、私の海馬はそれを許してくれなかった。
 最近は病院から返ってくるといつもこう。パソコンを立ち上げて、「シロップストーリー」にログインする。クラフタージョブの依頼内容を確認して、その制作時の音に耳を傾ける。
 金属が叩きつけられる音、何かを削り出す音、具材を組み合わせて調理する音。キーボード音の代わりに、私の実生活の中にはない作業音が、癒しを与えてくれていた。
 このオンラインゲームを始めたときはもっとアクティブに冒険していた。このゲームの売りであるストーリーは勿論の事、サブコンテンツであるレイド攻略にも参加した。今ではクラフタージョブの日課を終わらせた後、クランハウスの焚火の音を聞きながら、なんでもないクランメンバーのチャット欄を眺めているだけだ。

『Kinako、最近ログインしてるし、今度一緒にカプサイ神行こうよ』
 そんなプレイングを続けて一か月ほどたった時、いつものように時間を焚火の前で潰していると、クランメンバーのVが私に声をかけてきた。これからバトルコンテンツに行くのだろうか、Vのアバターの背中には某漫画のような大きな両手剣があった。内容は一緒にレイドしに行こう、とのこと。
『え、めっちゃいきたい』
 少し間を開けた後、悪くなった目つきでキーボードを叩いた。正直、嬉しかったのかわからない。誘いを断ると余計な綻びが生じるのが嫌なだけだったのかもしれないし、今のプレイングスタイルを無自覚に飽いていたのかもしれない。無性に期待感が募った。
『そういや、看護の仕事の方は順調そう?』
 Vは五年ほど前からのネトゲ友達で、職場の事についても知っている。なんなら下手な友人よりも私のことを知っているかもしれない。
『辛いことばっかりだけど、しょうがないっておもってる』
 ふと、自然に出る自分の本音に驚きながらも、奇妙な居心地の良さと懐かしさを感じた。
『そっかー。つかヒーラーの装備ある? あれだったら作るけど』
 職場に対する質問をしておいて、すぐさまレイドの話。でもこの空気感はキライになれない。
『いちおう最低限は確保してある、なにかあった時の為にね』
 私のメインバトルジョブはヒーラー。リアルでもヒーラー(看護師)だが、ゲーム内のように華やかなエフェクトが出るわけでも、死者蘇生ができるわけでもない。
『流石。じゃあ明日ログインしたら声かける~』
『はーい』
 少し変わりそうな日々に期待して、いつもよりアイテム欄を確保してからログアウトした。

『ごめん、今の私のミスだ……』
『大丈夫、つぎつぎ!』
 甘かった。いや、カプサイ神なんていうボスの名前なのだから、難易度事体甘いわけないのだが。数年ほど前に挑戦したレイドの時よりも、バトルコンテンツが新しくなっており、敵の行動パターンや処理方法など、私がやっていた頃とはまるで違う。
 ヒールのタイミングやスキルの使いどころなど、考慮しなければならないことが沢山で、処理しきれないのもあるが、ブランクのある私は画面の中で幾多の屍を作っていた。
『今日はここまでにしよっか』
 気が付くと日付が変わっていた。Vの呼びかけに集まってくれた他クランメンバーたちは『おつかれ~』というチャットと共に別のコンテンツの場所へテレポートしていった。
『流石にKinakoでも一発じゃ無理か~』
『ごめん、次はちゃんと予習してくるね……』
 クランハウスの前、永遠に消えないデータ上の焚火を挟むように私とVのアバターは座っていた。
 ゲーム内は曇り空。火は相変わらずいつもの描画で燃えている。
『そうね、あの強攻撃は継続ダメージがセットで着いてくるから、それ用にスキルを残しておくといいかも』
『ありがと、そうする』
『ヒーラーの腕はブランクがある分、少し落ちたみたいだけど、変わってなくてよかった』
 パキパキと散っていく木のグラフィックがいつもよりうるさく感じた。
『変わってない?』
『軽減魔法を切らさない所とか、ヒーラーだけどちゃんとダメージ出しているとことか。なんか懐かしくなっちゃった』
 意識していなかったが、ヒーラージョブの仕事は一応こなせていたみたいだった。
『それに楽しかったでしょ。最初はKinakoが最初に「もう落ちる」って言いだすかと思ったけど、全然言い出さないから』
 数時間の間だったけど、時間を忘れてバトルしていた。それ故に倒せなかったことが悔しい。
『うん、また明日やろうね』
『その言葉、待ってた』
 Vは次の予定があるから、と手を私に振った後、別エリアにテレポートしていった。

『よっしゃあああああ!』
 声を荒げて歓声を挙げ、握りしめた拳を掲げる。額には汗が滲んでいた。
 攻略を初めて一週間、ようやくカプサイ神の討伐に成功した。見たことのない攻撃が、見慣れた攻撃に。Vのアドバイス通りにスキルは温存して、そのスキルリソースを攻撃分に回して。試行錯誤、自分の動きを見直して勝ち取った勝利。
待望の「Enemy Punished!」の文字が画面上に出た瞬間、緊張は歓喜に変わった。
『やったー! おめでとう~』
 Vとその友人のクランメンバーたちは祝福の言葉を私に向けながら、拍手のエモートをしている。
『みんなのおかげだよ』
『いやいや、Kinakoの上達具合が本当に早かった。また一緒にレイドしてほしい』
 クランメンバーたちでお互いをほめたたえた後、私は一人でいつもの場所へ戻った。
 いつも通り、火が燃えている。Vや他のメンバーたちは、あの頃からの情熱は変わっていなかった。プライベートの事はあまり聞かないけれど、『仕事が忙しくなればなるほど、それを終えた後のシロストは面白い』とVが言っていた記憶がある。
 勿論、リアルの生活が忙しくなって、このゲームを離れてしまう人や、休止する人は沢山いた。それはそれでいい。でも私にとってこのゲームは青春だったし、生活の一部だった。
 学生の頃は無理やり朝までプレイしていたが、社会人になってそうはいかない。自分の中で折り合いをつけ、両立させていくのを怠ってはどちらもダメになる。
 ふと、クランハウスに戻ってきたVが両手剣を振りかざした。
『また一緒に戦えるの楽しみにしてる、それと、リアルの方もちゃんと攻略するんだぞ』
 ふふっ、と液晶の前で笑いが零れる。そう、忘れていたのだ。あの頃は親に叱られてPCを没収されないようにと、学業の方も平均を維持し続けていた。
 人生もゲームも、攻略してこそ面白味があるのだと。

「木野さん、前より良くなってる。愛想もね」
 いままで取得してきた筈の経験値がようやく反映されたような心地になる。カプサイ神を倒した私なら、ここでだってヒーラーをやっていけるはずだ。

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