仕事に「かけがえない」は存在しない。
こんにちは。平凡サラリーマンのらくさまーです。
平凡だけどちょっとズレたライフスタイルを発信します。
今回は、自己紹介記事を除く実質的な1回目。記念すべき初回は「仕事」について語ります。
※本当は「投資」とか「マネープラン」とか、その辺から行きたかったのですが、公務員は「職務専念義務」がありますのでね。
さて、本題に入りますが、貴方にとっての「かけがえない」もの、とは何でしょう?
仕事、子ども、趣味、地域活動、そして嫁さん(一応入れとかなきゃ)、etc.
人それぞれ、千差万別、十人十色ですよね。
今回言いたいのは、そうではなく、「逆」。
つまり、自分自身が「かけがえない」存在となっているものって何だろう?
ということです。
つまり、
「私にとって〇〇はかけがえのないものです。」
ではなく、
「〇〇にとって私はかけがえのないものです。」
ということですね。
この視点から見た場合、
「仕事にとって私はかけがえのない存在です。」は絶対にありえません。
なぜなら、自分を含め多くの場合、仕事とはすなわち「組織」であったり「ポスト」であったりするのですが、どれほど優秀で激烈に仕事ができる人でも「余人をもって代え難い」はありえないからです。
私が、シガナイコッパヤクニンだからでしょうか?
いえ、キャリア官僚だろうが、首長だろうが、はたまた総理大臣だろうが同じこと。
稀代のリーダーであった安倍元首相が、コロナ禍の最中、体調不良により辞任されましたが、それにより、国民生活に影響が出ましたでしょうか?
必ず、穴は埋まる。誰かが何とかする。それが「仕事」というもの。
人間、「俺がいなくちゃ始まらねー」と思う本能があるようですが、それは単なる錯覚にすぎません。(本当に始まらなかった事例を私は知らない。。)
※ちなみに、我々の業界ではよく送別会とかで「人事は何もわかってねえ!!俺が抜けると回らなくなるぜ~!」とか、くだまく御仁がおられますが、そこは温かく見守ってあげるべきだ、と強く主張いたします。
閑話休題。では、「私自身」がかけがえのない存在になっているものって何でしょう?
言うまでもなく、それは「家族」、特に「子ども」でしょう。親の代えは利きません。
次に来るのは「友人」でしょうか?
「A君と絶交したから、B君と友達になろう」という感じではないですよね?
別に「友人」というポストがある訳ではないので。「A君」はあくまで「A君」として友達なわけです。
そのように考えると、おのずと人生におけるプライオリティが見えてきます。
にもかかわらず、脳内メーカーが「仕事」によって占領されている人が、私の周りにはとても多い。ジャンジャンバリバリワーカホリックさんだけでなく、仕事上の人間関係に振り回されてへとへとになっている人も含めて。
「仕事」は、人生においてあまり大したものではない。
自分の代わりなんて、掃いて捨てるほどいる。
この厳然たる事実が肚落ちすれば、少し肩の力が抜けるのではないでしょうか?
ちなみに「じゃあ、仕事なんてテキトーで良いんだ!」というのとは、また違いますよ。このことについては、いつか別稿で語るとして、今回はここまで。