見出し画像

支援センターより「ノーマルな生活を地域で」

※この記事は、法人で発行している「法人ニュース」の「支援センターNEWS」で記載したものを転載しています。

 2021年9月の「支援センターNEWS」では、障害者基本計画から見える障害者入所施設のあり方について下 記のポイントをお伝えしていました。
 ・入所施設は真に必要なものに限定する。
 ・地域福祉への理解の促進が必要。
 ・入所施設は地域移行形態として、グループホームや一般住宅への移行を促進していく。
 その上で「入所施設もグループホームも空きがない中で、高齢になっていく利用者も含め、法人としての 方向性考えていく必要がある」としていましたが、 今回はその内容を受け、私が考える支援の視点を我が法人の理念に引き寄せ、深堀りしながら述べていきたいなと思っています。
 
 ケース対応をする中で、「この人は地域では無理」「地域が無理だと言っている」、「うちでは対応ができ ない」、「なので入所施設しかない!」と言う支援者と出会う事があります。そういった声を聞くたびに「もう少しできる方法を関係者で考えてみませんか」と伝えますが、何かあったら入所施設!という当事者の気持ちから解離した考えに囚われる支援者に、自分たちの仕事はまだまだまだだな…と自身を振り返り、残念な思いを募らせたりします。

 ノーマライゼーションの父と呼ばれている「ニィリエ」は、入所施設を訪問する度に劣悪な環境下を目の当たりにし、入 所施設の「保護された退屈な環境」、「刺激や影響を受けられる 環境で発達する機会を奪っている」という問題点、その環境から被られる「後天的な発達の遅れ」が「敗北主義的な認識を引き起こす」、そして「退化させているところなのだ」と痛烈に 批判しています。
 下記3点は「知的障害者の発達の遅れの問題は以下の3つ の組み合わせだと考えている」とニィリエが定義したものに なります。

 1.個人の知的な発達の遅れ…適切な行動を行う際の機能障害に関連した認識上のハンディキャップ、学習困難性、繰り返しの新しい経験や複雑な状況がもたらす要素を満たす事の困難、失敗ゆえのフラストレー ション、我慢できないがゆえにしばしば悪化するコミュ二ケーションの能力の欠如。
 2.押し付けられた後天的な発達の遅れ…行動の上で機能不全や機能低下として表現され、本人の周りの環境や社会によってつくられた生活状況の中での欠陥の可能性や、両親や職員、一般人の不満足な態度が原因である。施設環境の貧弱さや、教育や職業訓練が存続していないか不十分であること、経験や社会的な接触の不足、…等々が元々のハンディキャップの上に付け加える。
 3.自分がハンディキャップを持っているという認識…歪められた自己認識や防御規制、内面の問題を閉じ込めることや、敗北主義的な認識を引き起こす可能性がある。自分や他人の目の前で自己主張することは、多くの一般の人々にとっても難しいかもしれないが知的があると認識し、自分自身を理解することができないと認識しなければならないときには、自己主張というタスクの達成はほとんど不可能になる。

 これはICF の中の「背景因子(環境因子・個人 因子)」と当たる部分にもなるですが、ニ ィリエは「2.」「3.」の部分について、 閉じられた入所施設の中では強く作用するとしています。
 ただ「入所施設はだめなもの」ではなく、制度の変遷から個別支援の視点として「日中活動の場」と「くらしの場」が離れた事、計画相談の導入からより個別性の高い支援が届きつつあのではないかと感じています。しかし、それでも、「自分は入所施設で生活ができるか?」と問われると、やはり「嫌だな」と答えてしまいます。

 私がこの法人に就職を希望したのは、地域生活を支える事を理念として掲げている事でした。 私達法人の理念は「障害のある人とその家族が地域の中で尊厳を保ちながら普通の暮らしができるように支援する」としています。
 「地域の中で」と「普通の暮らし」がポイントなのですが、普通の暮らしって何なのでしょうか。
 私は、普通の暮らしって人それぞれやろ、と思っているので、普通の暮らし=千差万別の暮らし。つまり 個々人それぞれの暮らしで「多様な暮らし」と捉えています。
 地域の中で「多様な暮らし」を支援する。とても素敵な事だなと思っていますが、やはり支えるには人や物など沢山の資源が必要な事を支援センターの職員としてひしひしと感じています。
 
 生活介護に空きがない、ヘルパーで穴埋めようとしても人手不足…。人がいても、行動障害などで対応が 難しい。しかも他者、地域住民に迷惑がかかるかもしれない…。そんな状況が続くと、入所施設に入る事が できたらいいのではないか…と思ってしまう事も仕方のない事かもしれませんが、ではそこからどう考えたらいいのか。私達はどのように捉えたらいいのか。

 まずは、①何が足りないのかを考える事。そして②どうしたらその足りない部分を補えるのか。
 ①は、個々のケースに関わる中で見えてくる事ですが、その人の生活全体を見ようとしないと見えない。 その人に何が起きているのか、何を希望しているのか。「希望」という点では、昨今「意思決定支援」という言葉や考えが出てきていますが、これは情報がなければ意思を形成できない事が前提であり、誰しもが同じ事がいえます。豊かな暮らしにするためには沢山の経験が必要になるため、豊かな支援を提供するという 事を私達には求められています。
 そして②。足りない部分をどうしたら補えるのか。制度で担える部分(②-1)と担えない部分(②-2)。 ②-1 の部分では、不足しているサービスは沢山あります。中部圏域では医療的ケアや強度行動障害に対 応できる事業所が不足しています。通所居宅ともに不足していると感じています。
 私達の法人に限っては、通所系の事業所「日中活動の場」の資源は多いですが、「くらしを支える場」の支援(居宅・GH 等)は少ない。 個人的な見解にはなりますが、「くらしの支える場」の支援は、当事者の生活が詳しく見え、その人の「個」が見えてくる。「個」が見えてくると、多様な暮らしも理解でき、その手立てを考える必要性が出てくる。 同時にさらなるニーズが見え、環境へのアプローチへの必要性が理解できる、のではないかと思っています。「くらしを支える場」の支援は、私達の法人には必要な事業だと考えています。
 ②-2 では、制度では担える事ができない部分をどのようにアプローチするのか。 制度の狭間や限界は常につきまとう事。障害福祉の歴史の中では、インフォーマルな支援を行う中で制度が追いついてくるという歴史があります。ですので、まずは一事業所でできる幅を広げていく事。一事業所でできなければ複数の事業所で幅を広げる方法を考える事(協働)。プラス、地域のインフォーマルな資源にも目を向け、地域と関わる視点を持つこと。
 
 「らくなん」の当面の目標は「キャパシティを広げる事」を掲げています。また、地域への視点という事 で、「南区プラットフォーム推進事業」というネットワーク事業を行っています。これはいつくかの事 業所と南区社会福祉協議会、行政の協力を得て行う事になりましたが、様々な事業所との協力形成ができる 事で困難な課題をも共有し、当事者の地域生活を支えていく取り組みとして実現していく事を期待してい る所です。
 
 長々となりましたが、以上私が思う支援の視座・視点となります。
 当事者性と法人の理念、そしてソーシャルワーカーとしての使命として、地域での生活をいかに実現できるか、常に問い続け考え続ける事、言語化し、そして動いていく事が大事なのではないかと最近そんな事を考えています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?