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聖地巡礼  (記事800文字

〜沙都とあゆんだみち


玉造に降りたつ。
かつて沙都と暮らした住宅地。
道路に突然、樹が現れるそんなまち。

昨夜ふと遠藤周作の「影に対して」を
読み直してみた。直感で。

その中で出会った切支丹(キリシタン)
の文字になんとなく教会へ行ってみよう
と言う気になった。

大きなカトリック教会があるのがこの玉造。
今回で2度目の訪問だ。

いままで、
この駅を通過するにも動悸がした。
環状線はなるべく反対回りを選択するほど。
それほどに切なく苦しい思い出が、
ここに眠っていた。

「ことり合戦」を書き終え
編集者へ手放したいま。
全く過去の記憶となって蘇ったそこは
安定した心拍をわたしに打たせた。

10年経って軒先を変えた駅前。
まだある老舗の寿司屋。
変わってゆくもの変わらないものが
混在していた。

親子で暮らした新築だったマンションも
今や貫禄をまとう。
もう文章というフィルターを通すと
モデルの建物という背景として
脳内で再生される。

沙都と渡った横断歩道。
沙都と参った稲荷神社。
沙都と過ごした公園。
何もかもが美しい思い出に変わっていた。

この地に住まっていた時に
訪れることのなかった教会まで足を伸ばす。

その教会には明智光秀の娘であり、
細川忠興の正室である
ガラシア夫人の石像が建っている。

数奇な運命を負った夫人のなんとも言えない
思慮深くおのれを見つめるような眼差しは
像といえグッとくる。

わたしは切支丹ではないけれど、
開け放たれた入り口にある自由に甘えた。
静かなそこに一歩、
足を踏み入れ十字架を見上げる。

奥には神を抱いたマリア像の壁画。

神聖なる場所で心を落ち着けた。
自分と向き合う時間。
時は時計の針が止まったかのように流れた。

これで悔いはない。
排出していい。
決めた自分を誉めた。

過去に通っていた食事処には、
「本日休業」の文字。ことごとく振られる。

たどり着いたティールームで茶を喫む。
自分との時間。
もう一度、遠藤周作を読んでみる。


                楽子



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