太宰治を描いた青春文学

 太宰は、泳げない。僕は、すっかり欺かれていたようだ。鎌倉で起こした最初の心中未遂を書いて太宰は、「自分たちは海に投身したが、己は水泳ができたので助かってしまった」という風だ。これを真に受けた従順な読者であった。しかし、仲間と和舟に乗った際、明らかに怯えているが外形を取り繕う太宰をからかって櫓をこぐ速度を高めたところ、舟の縁にしがみつきながら太宰が「おれは泳げないんだよ。おれは金槌なんだ」と白状した挿話を『人間太宰治』に発見して、自分の誤認を正すことになった。「海に投身」という話が作りであるのは、加藤邦彦の論文(「登場人物としての小説家―『晩年』にみる太宰治のイメージ戦略―」)を既に読んで知っていたが、なぜだか「泳げる」という部分は信頼していたのだった。
 小説「東京八景」の中で太宰は、自身が中心となった同人誌「青い花」の頃を振り返っている。結局、「青い花」は一冊だけ出て頓挫するが、その中で二人の親友ができたと述懐する。彼らと「青春の最後の情熱」を燃やしたのだと。挫折した同人誌に最後まで残ったのも、この三人で、「三馬鹿」と呼ばれたという。小説に実名は出ないが、「三馬鹿」とは、太宰治、山岸外史、檀一雄のことだ。『人間太宰治』は、「三馬鹿」の一である文芸批評家山岸外史による回顧録だ。
 『人間太宰治』は、切なる青春文学だと思った。その文章から、山岸が太宰の才能に魅せられ、恋愛関係から来たものと見紛うような情愛を持っていたことがよく分かる。一方で、文芸批評家の仕事として、情に流されず、なるべく中立な批評を行おうとするバランスもある、真摯な文章なのだ。また、自殺癖があり、薬物依存で、女癖が悪いという破滅的な太宰の印象がいかに一面的であるかということが、実際に友諠を育んだ山岸の証言から豊富に見ることができる。約束に堅く、自分をネタに場を和ませるのを得意とした顔も太宰にはあったようだ。
 小林秀雄(「無常ということ」)は、人間は生きている間は何をしでかすか分からないから、死によって一生が確定することで、初めてはっきりとした「人間」の姿を示すのだとしている。山岸の筆致は、世間的に一度確定した太宰治の「人間」を融解させ、生きていた頃の複雑な一人として描き出すものがある。
 戦後、時代に歓待され、太宰は流行作家となった。一方で山岸は、疎開したことをきっかけに農業に専念し、文壇から遠ざかっていく。「純文芸雑誌」と太宰自ら表現した「青い花」をきっかけに親交が始まった二人の関係は、精神性を共有しながらも、逆な境遇に進んでいった。こうした中で、世間は太宰と山岸を対等な関係とは見なくなり、それに纏わる生々しい話も、この本には書かれている。しかし、山岸が太宰に対して抱き続けた感情の潔癖さは、実際に交わしたという太宰との会話からよく分かる。
「ぼくは君の才能を愛しているよ。そして、それを高く評価している。君はそれをよく知っているはずだ。人間じゃない。君の才能なんだ。しかし、人間関係ってほんとにめんどうなものだと思ったよ」(山岸)
「人生のことは、結局、みんな奉仕じゃないのかねえ」(太宰)

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