幼い頃の私と母親。

こんにちは、あしゅと申します。
今回は幼い頃の私と母親について。
とてもセンシティブな内容となりますので、
虐待・暴言・いじめ・性的発言
そういった表現が含まれます。
ご自身の体調と相談してご覧ください。










私の母親は、私を生みたくて家をとび出たそうです。

母親がまだ19歳の時、12歳も年上の父と職場で出会い、私が出来ました。
いわゆるデキ婚ってやつで、祖父母は大変反対して、その反対を押し切って家を飛び出し、勝手に結婚し、私を生んだんだとか。

「お母さんそれでもあしゅに会いたかった。」

当時の私は「そこまでして生んでくれたんだ!」と、母に感謝しましたし、私を産むことを反対した祖父母に少しだけ不信感を抱くようになりました。

怒られる時はそりゃ怖くて、殴られたり、胸ぐらを掴んで怒鳴られたりすることもありました。

それらは私が言うことを聞かなかった時にする行動でしたし、父親が過剰に私を躾する際には身をていして守ってくれました。

母親に迷惑をかけてはいけない。
母親を守らなくてはいけない。
いつしかその様に考える様になり、私は早く大人になりたかったし、強い力が欲しいと考えました。

しかし母親は妹が可愛かったのです。
私のことも同じくらい大切に育ててくれましたが、自分に似ている妹がより一層可愛かったらしく、よく目をかけていた事を今でも思い出します。

「お姉ちゃんなんだから」

そう言われ、様々な面で我慢することが増えました。

「妹は私に似て放っておけない、あなたはしっかりしてるから大丈夫」

そう言われ、気にかけてくれることが減りました。

私は次第に「お姉ちゃんだから」と自分に言い聞かせ、グッとこらえることが出来るようになりました。

こういった話なら、どこの家庭でもあるお話なのかな?と思いますが、我が家は母も変わっていました。

母は大反対を押し切って家を飛び出しており、私を生むためにと理由をつけて飛び出した理由も何かしらあり、実家に対して苦手意識があったみたいです。

さらに私は母の姉にどこか似ているとよく言われ、羨ましそうによく言われました。

「あんたはいいね、可愛く生まれてきて。」  

そんな嫌味を言われることもよくありました。
今思えば色んな意味が込められていたんだろうなと思います。

母親の姉は美人で頭もよく、地元でも大変モテたそうで、よく比較されていじめを受けていた母親はコンプレックスだったんだと思います。

そんな姉の面影がある私がずっとそばにいて、父親から可愛がられ「お母さんに似なくて良かったね」だなんて言われ続けていたら、そりゃ、精神が狂ってもおかしくはなかったんだと思います。

そうやって、父親が私担当、母親が妹担当。
自然とそういう形になっていました。

ですが私たち親子は時に姉妹かと思うほど仲が良い時もあれば、本気で喧嘩をして全く口を聞かないこともありました。

背丈が似通ってきた頃にはお互いの服をシェアしたり、並んでゲームをしたりもしました。

父の元を離れる際も、2人で力を合わせて生きていこうと、妹やまだ幼い弟を守ろうと誓いました。

ですが様々なことに疲れた母に「あんたさえ居なければ私はまだ幸せだった」とこぼされた時、私が今まで生きてきた意味が全て崩れていきました。

母親に望まれて生まれたのに。

大反対を押し切ってまで生まれたのに。

望まれてなかった命だったのに。

母親が生んでくれたから生きているのに。

そんな私がいたから、母親は不幸になったのだと、あの父親から逃げ出せなかったのだと、そう言われた気分でした。

「弟がまだ小さいから何とかやっていけてる、でもあんただけなら、見捨ててどこかに行けたのに」

そういった母は、今にも死んでしまいそうで、私は必死に繋ぎ止めようと言葉を選びました。
その時何を言ったのかは、一切覚えていませんが、母親は思いとどまり今も生きています。

しかし、それがきっかけで私と母の間には埋めることの出来ない亀裂が入り、今となってはどこで何をしているのかも知りません。

この世で一番大好きで、大切な母です。
ですが、この世で一番大嫌いで憎い母です。

こんな思いをするくらいなら、私を生まなければよかったのだと、あの時言えていたら、私はなにか変わっていたのでしょうか。

あの頃の私は心を殺して、自分を殺して、ただただ、弟には母親がいないと、妹には母親がいないと、母に生きていて欲しいと、ただそれだけで優しい言葉を選んでいた気がします。

もう少し怒っても良かったし、もう少し泣いても良かったし、もう少し暴れればよかった。
今、あの頃の私に会えるなら、優しくしすぎって言えるのでしょうか。

ここまでに至る話を始めるとまた終わらなくなるので、今回もこの辺りで。

ですが幼い頃、私にとっての母親は、大切で、大好きで、怒るとちょっと怖いけど、かけがえのない人でした。

最後に。

父親の時ほどまとまりのある書き方ができなかったように感じます。
母を憎む理由には、もっともっと人間的に、金銭的にドロドロとした部分も含まれているのですが、その辺もまたおいおい書けたらいいな。

もしかしたらこれを読んでる、私と同じような境遇のかたへ。

いくら大切でも、いくら家族でも、結局は他人であると、いつか割り切れるようになります。

情も大切だけど、1番に大切なのは自分。
思い返すといいこともあったけど、されたしうち、傷跡は消えることは無いです。

離れることは、悪いことでは無いです。

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