「大人になるとゲームができなくなる」の個人的真実

「大人になるとゲームができなくなる」みたいな言葉がよくあると思うんですけど、実際なってみて思うのは「本当はやりたいのにやる気がなく遊べなくて辛すぎる」んじゃなくて、「そもそもやりたいという欲求自体が下がる」からそんなに辛くないんですよね。

まあそうじゃない人もいるかもしれませんが。ただ他に有意義なことができそうならそっちに興味が向くだけ。
やるべきことをやってリラックスしたくなったら普通にゲームを遊ぶこともある。


なんでも間に受ける自分もアレなんですけど、こう言った一つ一つの言葉足らずの積み重ねで数年前の自分は「大人=絶対的不幸」っていう図式を勝手に頭の中で作ってしまっていたので残念です。


「訂正」って言うと少し語弊がありますが、過剰な勘違いを生む、そして子供の立場からでは確認のしようがない事象についての説明というのは少しずつやっていきたいところです。



ちょっと関係ないですが「やりがい」って言葉も自分で感じてみないと体験出来ないんですよね。
大人は「仕事は楽しくない、だがやりがいはある」と言いますが、子供の立場からだと「やりがい」は感じたことがなく想像が不可能なものなので、「楽しい=幸せ」&「楽しくない=不幸」の価値観だと「大人=不幸」の図式ができちゃうと思うんです。

実際には何かを有益なことを成し遂げる達成感とか、何かを学ぶことへの喜びみたいなのが、子どもにとっての楽しさと同じように「自分に取って喜ばしく、価値のあるもの」として自然に感じられるようになるので、今子供の方で大人が怖いことを言っているように感じられるのなら、別にそこまで不安に思わなくても良いと思います。

ただこれらも自分で味わってみないと説明のしようがないので、結局子供の目線からしたら「大人が自分の不幸を隠すために強がってる」ようにしか見えないのかもしれませんが………

難しい話ですね。

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