見出し画像

楽園マップ4 ホテル・リスボア(マカオ)


ホテル・リスボア。広東語で書くと葡京酒店。中国大陸に突如現れたポルトガル。このホテルからマカオは始まった

産業がなかった小さな港町を世界一のカジノの街に変えた男の一代記

東洋のハリウッド、マカオ。マカオは2006年から世界で最も規模の大きなカジノになりました。世界一の歴史は一人の男の野心から始まります。彼の名前はスタンレー・ホー。広東語で何鴻燊。1921年に生まれた香港人です。彼の父親は大恐慌時代に株式投資で財産を失い、家族を置いて逃亡しました。その後第二次世界大戦中に日本軍が香港を占領した際に彼はマカオに逃れます。これが彼の夢の出発点でした。意外なのは、彼は若い頃、敵軍である日本人が運営する会社に雇われていたことです。この際、彼は戦中戦後の混乱に乗じて中国本土に贅沢品を密輸して財をなします。紆余曲折を経てカジノ産業に目を付けた彼は、当時貿易以外に何も産業らしきものがなかったマカオをカジノアイランドにする夢を描きます。そんな彼が描いた夢を具現化したのが、今もマカオで現役に存在するホテル・リスボアです。

1970年にオープンしたホテル・リスボアは、その後台頭する中国をはじめとするアジア各国の中産階級(これにはもちろん日本人も含みます)の欲望を飲み込み、急成長します。アジアの一攫千金の夢の場所には、欲望を対象にした売春婦やその斡旋業者、資金洗浄を目的とした中華系ヤクザなど、怪しい人々をも惹きつけていきます。わずか30〜40年前の話とは思えないスリリングな話ですよね。

1999年、マカオが中国本土に返還される直前に彼にとって最大のピンチが訪れます。それまでポルトガル政府と良好な関係を築き、マカオでカジノ営業の独占権を得ていた彼は、その牙城を崩そうとする中国本土系のマフィアと対峙します。カジノの運営権をめぐる抗争に巻き込まれ治安が悪化したマカオの街は、アジア通貨危機の影響もあって観光客を失いつつありました。この時、彼が助けを求めたのは中国政府でした。マカオの治安維持と抗争の火元となる中華系の事業者を入れないよう頼まれた中国政府は、彼の言い分を半分飲むことになります。治安を維持し、中華系事業者を入れない反面、ラスヴェガス等の外資のカジノ業者を呼び込むことにしました。当時、ハリウッドの「本物」のカジノと競争することになったスタンレー・ホーやホテル・リスボアには勝ち目はないと言われていました。事実、五つ星ホテル、ミシュランのレストラン、キャバレーなどを飲み込んだ現代式のカジノに客の一部を奪われてはいるものの、彼のグループも時代に合わせるように施設をアップデート。外資とホーの熾烈な争いの最中、2006年にはマカオには本家ハリウッドを抜いて世界で一番大きな賭博場になったのです。彼は貧しかったマカオに繁栄をもたらし、市民に多くの福祉と生活をもたらすと公言し、それを実行しました。一説には彼が納める税金は、マカオ全体の税収の30%を上回っていたとも言われています。

彼は個人的な野心でここまで大きな世界を作ったのか、あるいは愛するマカオを世界一の楽園にする大義のために動いたのか、その両面あったと思いますが、本心は分かりません。言えることは、ホーは時代に翻弄されつつ、時には敵とされる勢力とも手を組み、中国人らしく実利主義を追求しながら、死ぬまで本人も、マカオも、一度も没落させずにやり通したのです。

彼が夢見た世界とは、楽園とは何か。その答えは、このホテルにあります。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?