伝わらないさみしさ
こんばんは、雑草ちゃんです。
「こんにちは」に統一しようとか言っておいて、前回ふつうに「こんばんは」になっていたことに今気がつきおそろしくなりました。夜に読む人のほうが多そうなのでやっぱりこんばんはにします。
本日久しぶりに、幼少期からなじみのある地元の病院に行ってきました。
理由は睡眠導入剤をもらうためです。
昔から満足な睡眠がとれない生活を送っていたのですが、適応障害になってから更に悪化し、最近は起きていることすらしんどくなっていたので、さすがにマズイ、と薬に頼ることに決めました。
「いよいよ眠れなくなってきたな……」と感じてから、すでに数ヶ月は経っているのですが、薬をもらうのを引き伸ばしていました。
それにはある理由があります。
人と会うのがこわい
これしかないです。病院だろうがスーパーだろうが、面とむかって人と会って話すことが本当にこわいのです。
自分のことを伝える必要がある場合は尚更です。なにを伝えたいか、どのように伝えたらいいか、さじ加減をすべて自分で決めなければいけないから。
それでも、睡眠不足による健康被害に危機感をおぼえ、母親にもついてきてもらい、なんとか勇気をふりしぼりました。
診療が終わり、受付に背を向けたまま待合室のいすに座った瞬間、胸の痛みとともに涙が込み上がってきたのです。
伝えるのはむずかしい
わたしは診療室にて、ひそかに息を詰まらせながらも、なんとか自分の現状を説明しました。
しかし、先生にそのつらさが伝わっていないように感じてしまったのです。
アドバイスもされ、大丈夫!と軽く言われましたが、それができればこんなことには……と心の中で反論しながら、必死に笑顔をつくりうなずいていました。
わたしの説明不足が原因なのは自覚しています。早く話を終わらせたかったのもあり、べつに言わなくてもいいだろうと飲み込んだ言葉がたくさんありました。
それなのに、どうせわたしの苦しみをわかっていないのだろう、この程度で薬をもらいにくる弱い人間だと思われているのだろう、あっというまにそんな思考で埋め尽くされ、体が冷えるような感覚に陥りました。
自分がいろんな意味で力不足な現実と、つらさを理解されない孤独感と、理不尽に他人を責める心の弱さ、いろんなモヤモヤがうずまいて、あふれる涙となったのです。
傲慢さを受け入れたい
自分の伝えたいことは、自分にしかわかりません。なんなら本当に伝わっているかどうかは相手の頭のなかでしかわかりません。
幸せとか、苦しみとか、自分の感覚を他人に理解してもらえたり、理解することも、「完全に」というのは結局ほとんど不可能なのだろうと思っています。
だけどわかってほしい。わかりたい。そんな気持ちを持つことはやめられません。
自分が持つその願いは、理解してあげたいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
アイコン、今回の見出し画像、ありがとうイラストを描いてみたので、よかったら見てやってください。
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