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「なぞらえる」とは。

通訳ガイドのぶんちょうです。小泉八雲(Lfcadio Hearn) の「怪談」(Kwaidan) を洋書で読み直しています。そのなかに「古く日本には奇妙で魔術的効果を持つ、ある種の精神活動を示唆するような信仰がある」というような主旨のことが書かれていました。さらに、それは記述されて残っているわけではないが、日本語の「なぞらえる」という動詞に表現されている、とあります。

そして、この日本語「なぞらえる」はどんな英語にも訳しようがない。辞書には「真似る」「似せる」などの訳語が当てられているが、それだけではなく、宗教的な本質があると書かれていたので興味を引きました。

その例えとして、お寺を建てる余裕がなければ、仏像の代わりとして小石を置くことができる。それは寺院を建てるのと同信程度の信仰心から来ていて、同程度の価値があるものだと言っています。

また、お寺に行くと今でも時々、見かける輪蔵 (revolving library)にも小泉八雲は言及しています。6771巻のお経をどうしても読みたいが、それがかなわぬ時に輪蔵を建てることができるのだと書いてありました。輪蔵とは、

経蔵は一切経を収める建物。
経蔵内にある「輪蔵」と呼ばれる回転式の書架を一回転させると、
全ての経を読んだのと同じ功徳があるといわれている。
                    鎌倉長谷寺サイトより引用


さて、この輪蔵ですが通訳ガイドをしていると外国人に説明する機会があります。私の勝手なイメージでは日々の生活に忙しく、経典を全部読むことなどできない庶民のための効率的発明物? あるいは、そこまで信仰心は厚くはないものの御利益だけは頂戴したいという世俗の要求に寄り添ったもの?

でした。なんとなく忙しい現代人が、何かをまとめたサイトを読む、YouTubeで本の骨子をコンパクトに説明してくれるのを見るのとちょっと共通したところがあるかもしれないと思うのは行き過ぎでしょうか。

そういうわけで、ちょっと冗談めかして「効率的ですね」なんていう言葉で説明を終わらせていたので、この小泉八雲の書いていることを読んで、なんだか恥ずかしくなりました。

なるほど、単にお手頃な装置を作って、なんちゃって図書館を作っていたわけではないのですね。小泉八雲はこの「なぞらえる」ことによって、「魔術的、神秘的な効果をもたらす」bring about some magical or miraculous result という信仰があると言っています。

考えてみると似た例がいくつもありました。信仰の対象であった富士山は簡単に登れるものではない。そこで、あちこちに本物の富士山を見立てて富士塚を作った富士山信仰。これも「なぞらえる」ことの宗教的パワーと関係しているのかもしれないです。また、日本庭園にはたくさんの見立ての手法が使われています。枯山水にも池泉庭園にも必ずあります。

そして、桜の花びらを短い侍の命に例えたのも、もともと、こう言った考え方の土台が日本人にあったからなのかもしれないと思いを巡らせました。
「なぞらえる」美しい言葉です。

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