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「母のお茶会」に参加する理由が言語化できてスッキリした話。
おはようございます、らっこです。
突然ですが、「母のお茶会」に参加する理由が自分のなかで急に言語化できたのでnoteに書き留めておきます。
実はここ1年ほど「私は、なんのために母のお茶会に参加するのだろうか(私にとっては家族と過ごす時間のほうが大切なのに)」というテーマで内省を続けていました。
※ここでのお茶会は土日に開催され、子どもは連れて行かない前提です(参加するには夫に子どもを見てもらう必要がある)
息子のスポーツチームで「母で仲良くおしゃべりしましょう」という感じで、ときどき母だけのお茶会がセットされるのですが、私はずっと違和感があったんです。
で、なぜ私は違和感をおぼえるのかが、ずっとわからなかったんですね。
1年くらいかかりましたが、このたび自分のなかで「なぜ私はそこまでお茶会に違和感をもつのか」と「私にとってお茶会に参加する理由はなんなのか」がわかりました。
そもそも、なぜ私はそこまでお茶会に違和感をもつのか
この問いへの答えは、1年にわたる内省の結果でわかったことでした。
私は「すべての行動には目的が必要」な人間だったんです。
目的がない行動が苦手だし、目的が示されない形での指示をされるのも苦手です(言わないこともあるし、言うこともあるけど、とにかく心の中に強い反発が生まれる)
「母で仲良くおしゃべりしましょう」というお誘いには、目的が明示されていないので、お茶会の存在理由がわからなかったんです。
だから、ずっと「お茶会の目的ってなんなんだろう」と疑問に思ってしまっていたんですね。
・・え。意味不明ですか?
ですよね。私も意味不明です。そんなこと普通、考える????
でも1年におよぶ内省の結果、私は雑談するときにすら「何を目的に雑談するのか」とかを考えてしまう人間なんだとわかりました。
それくらい「目的がないことをやる」のが苦手。我ながらめんどくさいってわかってるけど、そういう人間なんです。
でもね。目的って書くと大げさに聞こえるけど、ちっぽけな目的でいいんです。
たとえば雑談の目的を設定するなら「開始時間までの10分を楽しく過ごす」とか「道中の雰囲気をよくする」とかレベルでいい。
どんなちっぽけなことでもいいから「なんのためにやるのか」がほしいんです。
この感覚、多くの人には意味不明かもしれないんですけど、わかる人にはわかるんじゃないかなあ(マイノリティすぎるかなあ)
私は突然、どういうことが起こるかもわからないのに思いつきで新しいことを始めることがあります。(突然noteのメンバーシップを始めたりとかね)
何が起こるかわからないで始めているけど、自分の中には明確に目的があるんです。
noteのメンバーシップを始めたときには「無名フリーランスとしての自分が、コンテンツとしてどんな形を提供できるかのヒントを得る」みたいな目的があったわけです。
自分が始めることにはいつも目的がある。けど、人が始めることには目的があっても説明されていないこととか、世の中には目的が言語化されていないこともたくさんある。
目的を見いだせないとモヤモヤする、そんな人間なことがわかりました。これで1スッキリ。
経験上、モヤモヤしたときって、私にとっての「なんのために」が見つからないことが理由な可能性が高いので、
目的を設定する(自問する)ができれば、だいぶ生きやすくなりそうです。
これが分かったのは結構うれしい。
続いて、話を「母のお茶会」に戻して、私にとってお茶会に参加する理由はなんなのかを考えていきます。
私にとっての「お茶会」に参加する理由
ちなみに「目的」にはなんとなくの段階があります。
自分の時間を長く割くことであればあるほど、本質的で、根源に近い目的が必要です。
表面上の目的のために割ける時間はせいぜい数十分。それ以上になると、もっと深い目的設定が必要です。(めんどくせー女だな私)
このお茶会の場合は、もう少し深い目的の設定が必要でした
なぜなら貴重な週末の3時間~半日とかを費やすので、私にとっての影響が大きいからです。10分の雑談とは違う。
お茶会の目的が「母たちが仲良くなること」レベルだと厳しいです。
母たちと目的もなく仲良くなることよりも、大切な家族との時間を過ごすことのほうが私にとっては大切なです。
「仲良くなるためにお茶会に半日かあ・・効率が悪すぎるかも・・家族と過ごしたいなあ」ってなります。
この状態でモヤモヤしたまま1年ほど経ちました。
答えがずっと出ないままに、自分なりのお茶会の意味をいろいろ考え、人間にとっての集団の意味とか、自分という人間についての内省をめちゃくちゃやりまくった結果、
私にとって「母のお茶会」の存在意義が見つかりました。
私にとってのお茶会の意味は、その集団の中に自分の居場所を作ることです。
自分の居場所を作る目的は、居場所があったほうが自分が心地いいからです。
その理屈でいくと、居場所がなくても心地よく過ごせる人はお茶会に参加しなくてもいいですし、居心地がよくなくても困らないレベルの集団の場合もお茶会に参加しなくていいと思います。
わりと大切な集団の場合は、私は豆腐メンタルなので、居場所があったほうが気持ちが楽です。
そうかー、お茶会の意味は、その集団の中に自分の居場所を作ることだったのか!
母のお茶会の自分にとっての目的を言語化できてからは、びっくりするくらいにすーっと違和感がなくなりました。
その目的が見つかるまでは参加するのが超つらかったのですが、最近は苦痛ではなくなり、むしろ普通に楽しみになりました。
ちなみに、なぜお茶会に参加すると居場所が作れるかというと、「人と人が関係性を築くにはある程度の時間を一緒に過ごすことが必要」だからだと考えています。
特に何かのプロジェクトを通して苦難を乗り越えると絆が深まる現象があると思っています。
居場所を作る方法は他にもあります。「集団の中で何かの役割を果たす」とかね。
だから「今なんとなく居心地の悪い場所」を居心地よく変えたいときには、何かの役割をやってみるといいのかもしれないなあ、と思います。
・・ここまで書いてきたことが「意味不明すぎる」「そんなこと考えてんのキモイ」と思われる方が人口の98%くらいだと思います。
もしかすると2%くらいは同じような考え方の人がいるかもしれないかなあと思って、私がスッキリした言語化の内容をシェアすべくnoteを書いてみました。
どなたかのなんらかの思考のきっかけになれば嬉しいです。
今週も1週間、乗り越えていきましょう~!
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