見出し画像

社会的意義のために働くフェーズは、いつか自分にも来るのか?

数日前に、週5正社員のカジュアル面談(兼面接)を受けました。

そのときに感じたことを忘れないように書いておきます。先に書いておくけどオチはないです。

ただ実は、この面接のあと2日ほど凹みました。今はもう回復したけども。

Twitterではここ数ヶ月うるさいほどにつぶやいているのだけど、私は現在あてもなく会社を辞めることにして、フリーランス的な生き方を模索しようとしています。

週5正社員を一度辞めてみたい気持ちがかなり強いので自ら正社員への応募はしないけど、スカウトされて興味がありそうだったら話を聞く、というスタンスでやってきました。

このとき面接をした会社は素晴らしいところだったし、時短かつリモートにも柔軟に対応している会社でした。でも、思うところがあって辞退しました。

面接した日のツイートはこちら。

Twitterでは文字数もあるからこんな感じにまとめたんだけど、ちゃんと書くと、理由はいくつかありました。

・成長フェーズのベンチャーで、かなり忙しそうだったこと

・なので、時短で働くためにはメンバーの協力がかなり必要そうだったこと(自分でコントロールできなくて、周りに負担をかけてしまう感じ)

・仕事は面白そうだったけど自分にとってチャレンジングな内容だったので、(精神的にいっぱいいっぱいになってしまって)家庭に影響が出そうだと思ったこと

・リモートワーク、フレックスはOKだったけど職場が遠く、出社の日の労働時間がかなり短くなってしまいそうだったこと

などなど。

でも一番大きかった理由は、

・面接で話してくれた人ほどの熱い思いを、その会社を大きくすることに注げないと思ってしまったから

でした。

面接してくれた人は、その会社の仕事にとても燃えていて、「会社を大きくすることが社会をよくすることにつながる」って本気で思っていて、めちゃくちゃ熱い人でした。

これまでの社会人人生で大企業、中小企業、零細企業の3社を経験しているなかで、「仕事に熱い人」には何人か会ったことあるけど、

「仕事を通じて社会を変えること」にこれだけ熱い思いを持っている人に会ったことなかったんです。

これまで会った「仕事に熱い人」は、仕事を通じて稼げるようになりたいとか、成長したいとか、面白い仕事をしたいとか、そういう感じのモチベーションの人ばかりでした。

その面接官の人は、もう自分の年収とかを気にするフェーズを抜けている感じがあって、「社会を良くしたい、日本をこう変えたい」みたいなモチベーションだったんです。

で、かたや私はというと、

薄給時短の正社員ワーママから自由になりたくて、会社員じゃない生き方を模索している最中なわけです。

なんなら正社員よりも短時間で同じくらい稼ぎたいとか、とにかく自由でありたいとか、家族の時間を大切にしたいとか、学びのために成長したいとか、今まで我慢してきたことにもう我慢したくないとか思ってて。

なんかもう、とにかく考えているのが自分(や家族)のことばっかりなわけです。

その面接官とは仕事に向かうベクトルの方向性があまりに違うのを感じてしまって、「自分のことしか考えてなくて、ごめんなさい」って思ってしまった。本気で。なんか恥ずかしくなってしまったというか。

冒頭に書いた「面接後に凹んだ理由」は、この面接官とのやりとりを通して、自分がすごく幼い気がしてきてしまったから、だったのです。

めっちゃ社会を見ているその人と、めっちゃ自分のことばかり考えてる自分を比べて、なんか凹んだっていう。それだけなんだけど。伝わるかな、この感じ。笑

その人にしか会ってないから、その会社の他の人がどうかはわからないけど、おそらく社長はもっとさらに熱い感じで社会を変えようと思っていて、会社の雰囲気全体がそんな感じなのではないかと思ってしまいました。

そんなわけで、仕事へのベクトルの違いと業務量の不安から、辞退したわけです。

面接の最中から「これは、違うな」と感じていました。

この会社から求められてる仕事はたぶんできる。しんどいだろうけどやれる。でも違う。ここまでの熱い思いを、自分は(少なくとも今は)持てない、と思ったというか。

だから面接の途中からもう辞退することは決めていたんだけど、私はとにかく「この人の熱い思いはどこからくるのか?」ってのがすごく気になって、思わず聞いてみたんです。

「それだけの熱い思いはどこからくるんですか?その使命感みたいなものが生まれた原体験みたいなものがあったりするんですか?」

って。

そしたら快く教えてくれました。

とはいえ、いくら匿名noteでも詳しい話は書けないので、ざっくり言うと、

その人は幼少期にすごく社会に対して理不尽だと感じる大変な経験をしていて、すごく社会に対して怒ってて。自分の手で少しでも社会を変えたいって思っている、という内容でした。

その話を聞いている中で私が感じたのは、

「幼少期に大変な経験をしている人は、同じ経験をしてない人に比べて、圧倒的に早い段階から社会の歪みとか理不尽なことについて思考していて、だからこそ社会を変えたいっていう思いが強いのでは?」

ってことでした。

私みたいな、大きな不自由なく、しかも社会に出るまでたいした挫折経験もなくのうのうと生きてきたような人間が今になって感じているような社会の理不尽や葛藤は、

幼少期から大変な経験をしている人はもう10年とかそれ以上前から向き合っているかもしれないな、と思ったんです。

そうだとしたら、自分がどうありたいとかのフェーズってもうとっくの昔に抜けていて、社会をどう変えるかフェーズに到達していたりするのかな、って。

別に仕事のモチベーションの湧き方って人それぞれだし、いいも悪いもないとは思います。

関心事のベクトルが自分に対して向いていようが、社会に対して向いていようが、会社のカルチャーとマッチしていれば問題ないと思うんだけど、

私は社会を変えたいって熱く語るその人をかっこいいなと思ったし、いつか自分も社会のために全振りして頑張れるときがきたらいいなあ、と思った。

でも自分にとっては、今はまだそのときじゃないんだろうな、とも強く思った。

私は今ようやく自我が芽生えたばかりくらいの段階で、社会のレール的なものから自分の意志で外れようとしてるくらいで。笑

今は自分の内側に意識が向いている時期だから、それはそれで受け止めて、自分と向き合おうと思いました。

でもぼんやりと思っているのは、いつか私の関心事が外に向いてきて、社会を変える仕事にコミットしたいとしたら、

たぶん「ワーママの自由な働き方」を加速させることに役立つなにかの仕事なような気がします。

そんなことを思いました。オチはないです。

ご縁がなかった会社がどんどん大きくなって、社会を変えていってくれますように。応援しています。良き出会いでした。お時間をいただいたのにすみません。お声かけいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?