見出し画像

肝臓が大切なことを教えてくれた瞬間

「大きさが典型的ではない、境界が不明瞭な影が肝臓に見つかりました」

一瞬頭が真っ白になり、次に思ったことは「それ癌じゃね?」だった。

数日前に初めて人間ドックに行き、血液検査の暫定値を見せてもらった時に、γ-GTPの値が正常ではなかった。ほとんど飲酒をしないので、なんとなく嫌な予感はしていた。

人間ドックの結果が送られてくるのはもう少し先ということで、気にしないようにしていた。今日は気になる女の子と神保町のブックカフェに来ていて、そんなことはほとんど忘れていた。どんな本を読もうかな、などと思いながら席を立った矢先、まず母からLINEで電話がかかってきた。

病院の担当者からは「人間ドックの結果について、ご本人にしか伝えられないことがあります」と言われたらしい。僕は海外から一時帰国していたので、電話をすると国際電話の料金がかかってしまうため、実家の電話番号を病院に伝えていた。こっちはデートの途中なので、「母さんが検査結果を聞いて良いよ」と提案してみたが、やはり病院は僕に直接伝えたいらしい。

冷や汗が出てきた。母との電話を切った後、彼女に携帯電話を借りて、病院に電話してみた。担当者が少し深刻そうなトーンで伝えてきた言葉が、冒頭の一言だ。

「二週間後に再検査をします」と言われたが、僕は二日後に日本を出発する予定だった。事情を説明すると、肝臓の専門医が翌日に病院にいるということを教えてくれた。通常は予約をしないと診てもらえないが、朝一番に来れば診てもらえるかもしれない、ということだった。早朝に行くことを伝え、電話を切った。

彼女に電話を返す際に事情を説明すると、すごく心配してくれた。有り難かった。このままデートを中断して帰宅しても良かったのだが、彼女と喋っている間だけは不思議と不安な気持ちが薄れたので、できるだけ長く隣にいて欲しかった。

結局その日は夕飯まで一緒にいたのだが、ほとんど何も喉を通らなかった。美味しそうな焼き鳥が目の前にあるのに、喉が開かない。こんなに食欲がなくなったのは生まれて初めてだった。

彼女と別れて山手線に乗ったところまでは覚えているのだが、そこからどういう気持ちで帰路に着いたのか、あまり覚えていない。彼女に貰ったお土産のたらこのしぐれ煮を、美味しく食べられる日は来るのだろうか。そんなことを考えていた。

翌日、父に運転してもらい病院に向かった。ほとんど何も喋らなかった。父も母も人間ドックで肝臓に小さな腫瘤が見つかったが、特に問題はないということだった。だが、僕のは典型的ではない大きさなのだ。

再検査はCTだった。検査中は、「MRIとCTはどういう時に使い分けるんだっけ」とか、「閉所恐怖症の人はこの検査大変だな」とか、「高校のサッカー部の練習で顔を強打した時、念のため頭部をCTスキャンしたな」とか、関係のないことばかりを考えていた。冷静だったというより、肝臓のことを考えたくなかったのかもしれない。

検査が終わり、肝臓の専門医から検査結果を教えてもらうまで、おそらく10分くらいの待ち時間があった。今までで最も長い10分だった。

この時点で、僕はほぼ間違いなく癌だろうと思っていた。仮に一年後に死ぬとして、過去の事で後悔していることは何かあるだろうか、と考えた。少し驚いたが、後悔していることは何もない、と思った。後悔せずに死ねるのは良いことだな、と少しほっとしたが、涙も出てきた。

じゃあこれから先に、何かやりたいことはあるかな、と考えた。「あぁ、彼女と一緒にいたいな」と思った。これには自分でもかなり驚いた。今までずっと続けてきたサッカーでもなく、音楽でもなく、研究開発や仕事でもなく、まだ付き合ってもいない人と一緒にいたい、ということだけ頭に浮かんだ。肝臓が、自分にとって大切なことを教えてくれた瞬間だった。

そっか、じゃあその気持ちを彼女に伝えるか、と思ったところで名前を呼ばれた。急いで涙を誤魔化して、部屋に入った。

肝臓の専門医からは、「これはFNHだね」と言われた。僕の仕事が化学や医療と関係していると伝えていたこともあり、詳細を教えてくれた。FNHは Focal Nodular Hyperplasiaの略で、日本語で限局性結節性過形成というらしい。原因は諸説あるが、肝臓内の血液が不足している部分に、血管を作り過ぎた結果生じる、良性の腫瘤だと説明された。どのくらいのスピードで大きさが変化しているのかは分からないため、半年後にもう一度検査をする必要はあるが、ほぼ問題はないだろう、と言われた。

翌日に日本を出発することを伝えると、念のためという事で名刺を渡された。万が一何かあって病院に行った時に、担当医に渡せ、という事らしい。血液検査で癌マーカーの値もわかるので、検査結果を早く知りたければ直接メールしてくれても良いよ、とも言われた。優しい人に担当してもらい、しかも予約無しですぐ検査をしてくれて、感謝の気持ちしかなかった。

帰りの車の中で、死を覚悟したと父に伝えると、かなり驚いていた。飲酒はほとんどしないが、念のためこれからは一切飲まないと決めた。

翌日には日本を出発したので、彼女に直接会うことはできなかった。LINEで検査結果を伝えると、「心配していました、ひとまず安心ですね」と喜んでくれた。それから数日後、彼女に気持ちを伝え、付き合い始めた。

メールで聞いた癌マーカーの値も正常だった。半年後、MRIで再検査をしてもらったが特に腫瘤の大きさに変化はなく、肝臓の専門医からは「心配無用」と言われた。今でもたまに不安になるが、毎年検査を受けて安心する、ということが恒例行事になるのだろう。

COVID-19のせいでなかなか日本に帰れないのは残念だが、健康に生活し、仕事ができていることに感謝しなければいけないな、と最近よく感じる。仕事の内容が感染症の検査キットの開発だということもあり、幸運にも会社には活気がある。気が向いたら仕事のことも今度書いてみよう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?