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欲しいもの:キュレーション

面倒くさがりである。

仕事に関する情報収集には手を抜かないし抜けないので問題ないのだが、それ以外についてはとんと無頓着というか興味が持てないというか。だから自分の好みに合わせてキュレーションしてもらえないかと常に思っている。

情報化社会の進展と共に情報の価値は様変わりしたと思っている。正確には多様性が広がりすぎて収集がつかなくなっていると感じているのかもしれない。高度成長期からバブル崩壊前後までのメディアから提供される情報だけが全てだった時代から、インターネットによる情報量の増加によってもたらされた取捨選択の可能性の増大によるものだと思っている。

誤解を恐れずに言うなら、我々が若い頃の情報はラジオやテレビ書籍といったメディアに与えられるものが全てであり、そこにないものはないですね(某百円均一の店員)でよかったし、それが世界の全てだと思っていた。

現在はインターネットによって既存メディアに拾われない種々の情報がそれこそ無数に存在し、その情報を知らないことのほうが遅れてる、ということになっている。


有象無象の全てを知ることなどできるわけもないし、知りたいとも思わないが、好きなもの、好きなことに関しての情報は、欲しい時に欲しいだけ手に入れたいと思うのが人情ってものではないだろうか。

例えば好きな作家の新作発表は早くに知りたいし購入したい。例えば近郊エリアの新しい施設情報は事前に押さえておけば週末に家族ででかけることもできるだろう。例えば期間限定で出張出店してくる遠方の名店情報があれば買いに行く算段をつけたい。

逆に芸能人があれしたこれしたには興味がない。遠方のイベントの話をされても次の長期休みまでやってないなら意味がない。ネット通販できない遠方で話題のスイーツの話をされてもぐぬぬとなるだけだ。


こういった個人的趣味趣向に合わせた情報を提供する仕掛けがキュレーションである。そのはずなのだが、正直現存するキュレーションが正しく個人の趣味主義主張を反映してキュレーションしてくれることは皆無だ。提供側もビジネスなので仕方がないのだろうが、要らない情報があふれかえり、それを是正する機能すら整っていないことも多々ある。

機械学習がもっともっともっと進化すれば好転するかもしれないが、先は長そうである。中長期に渡る情報蓄積と分析、運用が必要なものなのに、そこに投資するだけの度量を持った企業がないのだから。まったくもって残念である。



フリーランスのエンジニア。主にサーバサイドからインフラ。フロントとアプリも出来るけどそんなに好きじゃない。noteはアウトプットの練習用。普段はTwitterにしかいない。