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王国の5月

最難関の国家試験と面接をくぐりぬけ、男はついに王子の付き人となった。城での仕事は、多忙であるが、それは日々の生活をつなぐための自転車操業では決してない。ただ決められたシナリオのロールプレイング。没個性的な密度の高い業務をこなしているのみである。
男もまた、城の歯車としてテキパキと仕事をこなした。背丈以上の長さのある赤色のマントは、男の一挙手一投足に合わせて自在に形を変え、その様は気品にあふれている。すらりと長い脚が大股を繰り出し、雑音のない廊下に甲高い靴音が響く。夕陽が壁面のタペストリーに長い影を映している。

お役目も板につき始めた初夏、男は昼食を済ませ、城外に散歩に出た。直上から照り付ける日差しが街を焼いている。さわやかな鳥の声に、蝉がとって変わろうとしている。
朝市の去った噴水広場に、男は同僚の青年の姿をみた。小さな段差に腰を掛け、すらりと長い脚を投げ出し、青リンゴを力なくかじっている。目は数メートル先の地面を凝視しているようで、ときより細かく横に動いている。男は青年に話しかけた。

「おはよう。今日は休みかい?」

青年は、あえて無視を決め込むように数秒沈黙を貫いた後、突然男のほうに振り向いて言った。

「おはようございます。いま雀を観察しておりました。」

男は、この青年を最近城で見かけていなかった。この青年もまた、男と同じく、付き人となった当初は気概にあふれて、若さを武器に気立てよく振舞っていた。しかし、ここ数日ぱたりと仕事に来なくなったかと思えば噴水広場で間食をむさぼっていたのである。男は単純に彼が陥っている現状に興味があったが、青年を咎めようなどとは思っていなかった。しかし存外会話が早く終わりそうな方向性をもっていたので、もう少しカマをかけてやることにした。

「新人考試の採点はどのくらい進んだのかね?」

「どいつも出来の悪い奴ばかりです。最近の若い奴らはろくに勉強もしない。なんかの弾みでいいトコかすめ取れればそれでいいと思ってんだか知らんですが。」

もちろん、この青年が最近考試の採点などしていないことを男は知っている。しかし作り話の割には、妙に力のこもった物言いであった。

「相部屋のものは元気にしているか?名を何と言ったっけ?」

「よく知りませんね。」

「あれだけ仲良くしていなのに。さては出て行ったのかね?」

「さあ。」
青年は当てつける先を見つけたかのように、少し得意げな顔をして怪訝そうに答えた。しかし男にとってみれば、このようにすっぱり会話を切られるとさすがに甲斐がないので、そのまま噴水広場を後にした。

いよいよ城外は最高気温に達しようとしている。男は変わり果てた青年の姿をしばらく受け入れることができなかったが、午後の役目もあったため、そそくさと城門をくぐり、奥の間にその姿を隠した。


本稿のねらい

テーマは五月病。
男は、初夏つまり5,6月ごろ、付き人としての仕事に完全に慣れきった(「お役目も板につき始めた初夏」)のに対して、青年はそうではない。この物語の主軸は青年の言動にあり、主人公の男は、読者と共に青年を観測する役割を果たしている。
また、読者は、男と青年を比較することによって、より分かりやすい観測が可能である。それに先立ち、赤いマントと青リンゴ、夕陽と朝、季節(後述)等、男と青年が対比されていることを示す表現を各所にちりばめた。

男が城に就職したのは、冬である。長いマントが正装であること、影の長さ、甲高い靴音でそれを表現している。このころの男は、お役所らしい仕事をこなしながら、健康的なメンタルを夏まで保ち続ける(もっとも、これ以降のことはわからないが)。
対して青年は、初夏の暑さを耐えて噴水広場に居座り、悲観的な感情のはけ口を必死で探しているようにみえる(ひとり昼食を食べ、鳥を執拗に観察している)。
同じ試験を経て同じ職に就き、おそらくほぼ同じ仕事をこなしていながら(ふたりとも、「すらりと長い脚」を持っている。)、男は気概にあふれ、一方青年は病みがちである。

青年は、国家試験受験のバーンアウトと、仕事に適応できないストレスを抱えている。食欲が出ないので昼食を食べれず間食をしてしのいでいる(昼休み後に外で青リンゴをかじる)。端的な発言やかみ合わない会話からは思考力の低下がみられる。さらには、相部屋の人とはおそらく関係性が悪化している。

鬱は、相手側からすると理解が難しい。なぜならその態度が巣の人柄なのか病的な行動なのかあいまいになりやすいからである。もっとも、これは本人が鬱を隠そうとすることにも大きな原因があるだろう。ましてや新しい環境に入った者にとっては、人間関係の保持が命題であるから、隠ぺいに躍起になりやすく、なおさらこの傾向は強まるかもしれない。

筆者も含め、今年の春から環境が変わるすべての人にとって5月はひとつのヤマ場となりえるだろう。
まずはGWまで無理せず頑張りましょう。

以上。コメントお待ちしています。


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