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サントリー天然水『めざめる』篇 石橋静河

きっかけは、いつもと同じ帰り道を、間違えたことでした。


誰かにとってのムダやゴミのようなものが、自分もしくは誰かにとっては宝物だったりします。


きっと自分は、誰かにとってのそれらがとても好きで、愛おしく思うことさえあります。


例えば、誰かと待ち合わせをした、その間の時間。自分が遅刻してしまう場合もあるが、待っている場合、その時間というのは多くの人はムダに感じたり、経つにつれていらいらを隠せない人もいるのではないでしょうか。

もちろん、遅刻というものを肯定するつもりはないですが、5分や10分のその時間が自分にとってはとても愛おしいのです。待っている間に待っている人のことを考え想ったりできるのはムダだとは思えません。


また生きていく上では、音楽や映画、漫画、ドラマ、たばこ、ファッション、雑誌など 無くなっても死ぬことはない物で溢れています。

誰かにとってのそれらは、一部あるいは全部必要のないムダなものになってしまいます。

これまであえて、"ムダ"とネガティブに表現しましたが、実際自分自身そのようには、全く思っていません。むしろ、それらが無いと生きていくのが困難になります。


皆さんは、ボタンダウンシャツのボタンについて、ご存知でしょうか。

あの襟についてるボタンは意味があるのだろうか、ムダではないのだろうか。そう考えたことが一度はあるのではないでしょうか。


あのボタンには、実はちゃんとした意味があります。

イギリスで、ポロの競技の選手(日本で言う乗馬や競馬)が、競技を行なっている最中に襟がパタパタとなびかないようにボタンを留めていたことが由来とされています。

当時のポロ競技のユニフォームは上品なスポーツとされていたため、顔に襟がなびいて当たるのを防ぐために作られました。


このように一見、どのような意味や目的があるのかわからないムダに思えるようなもの。実際はちゃんと意味や目的を持って存在しています。


それらは知らなければ一生ムダだと思って生きていくなんてことざらにあるだろうし、知らずに死んだって困るものではないです。


そういうものがきっとこの世の中に、たくさん存在するんだと思います。


そして、それらは自分の知らない未知の領域へ連れて行ってくれます。


もしかすると、この世の中にはムダなものなんて1つもないのではないでしょうか。



そう思うと、たまにはいつもと同じ帰り道を間違えてしまうことも悪くはないのではないでしょうか。



 






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