「つきあう」のかたち

私は彼女に釘付けになった。
桜も散りかけた季節の高校の入学式、集合写真の時に私の隣に座っていた彼女は、とても可愛くて、大人びてて、中学からあがったばかりの私たちよりも遥かに垢抜けて見えたのだ。
出席番号がひとつ前の可憐という言葉がとてもよく似合う女の子。
そんな彼女と友達になりたいと、私は心に誓った。
どんなきっかけでもいいから、お近づきになるぞと。

しかし、肝心の彼女があまり学校に来ないのだ。
入学後に始まる各種イベントで、出席番号順という特権を使ってアプローチをかけようと画策していたにも関わらず。
肝心の彼女が毎回学校にこないのだ。
後から聞いてわかったのだが、その頃体が少し弱く、授業以外の行事は大事をとって休むことにしていたそうだ。
結局私は、通常授業が始まってからの掃除の時間まで会話をすることができなかったのである。

出席番号の席順になる授業では(本当はいけないことだけど)こっそり二人で話をすることが楽しみの一つになった。
特に音楽の授業は喋り放題だった。
音楽の先生はクラシックやジャズ、オールディーズを生徒に聞かせて解説することにご執心だったので、広い音楽室の中では生徒たちの授業態度なんて気にも留めていなかった。
そんな二人の秘密の時間が積み重なるにつれて、私たちは「ともだち」になった。

彼女は帰国子女だったので向こうでの話をたくさんしてくれた。
海外の生活、食事、文化、自身の恋愛遍歴まで。
なかなか経験豊富だったようで、今思えば垢抜けて見えたのもその経験からくる物だったのかもしれない。
私は羨望の眼差しで彼女のことを見ていて、お姉さんのように語りかけてくれる時間が嬉しくてたまらなかった。

お互いの家に行き来するようになり、学校の桜がもう一度散ったある日。
いつも通り私の家で彼女とのおしゃべりの時間に、
思いもよらない言葉を彼女は投げかけてきた。
-私とつきあわない?-
私はその言葉の真意をその場で汲み取ることができなかった。
いろんな関係に悩み、苦い思いをしていた彼女は、
決して彼女にとっても軽い言葉ではないことはわかってはいた。
そしてその言葉で彼女との関係が崩れるわけではないけれど「つきあう」という一歩進んだ関係を表す言葉に私はすぐに返事を返す事ができなかった。

言葉は形にはならない。
けれど形を表すことはできる。
その形は誰もが同じ形ではない。
私たちだけの形を「つきあう」と言葉にするのだ。
私は時間をかけてしまったけれど、彼女と「つきあう」事をしっかりと、大切に伝えた。

それからというもの、大きく関係が変わることはなかったが、誕生やイベントにはお揃いのアクセサリーや、洋服を贈る事もした。
一緒のベットで添い寝することもあった。
けれど、彼氏と彼女のような物理的な繋がりを求めることをお互いすることはしなかった。
「つきあう」という言葉で表された形は、少しづつ、大人になるにつれて「しんゆう」という言葉に変わっていった。

もう何回花弁が散ったのかわからない、青味をました葉っぱを蓄えた桜の木をオフィスの窓から眺め、持ってきたお弁当を食べていると、スマホの通知欄には彼女の名前が映っていた。

ー離婚して引っ越したから遊びに来ない?ー

彼女はいつも決まって、事が起きた後に連絡を入れてくるのだ。
そう。高校を去る時もそうだ。
彼女は3回目の桜を見る前に、高校を辞めてしまった。
辞めることは一大決心だっただろうけど、彼女は最後まで自分で決めた。
そして、決めた後に必ず私に報告しにくるのだ。
もちろん全部自分で決めてしまうことに、寂しいと思うことはあった。
一言相談してくれてもいいのになと。
けれど、私は彼女の進む道を知っている。
その事実が私と彼女が「つきあって」いることを示してくれた。

通知の向こうにいる彼女はどんな顔して連絡してきたのだろうか?
お姉さんのような顔ではない、ちょっといたずらっ子の顔してるかもしれない。
想像しながら自分の顔が綻んだことに気がついて、もちろんとすぐに返事をした。

学校を去った後も彼女との「つきあい」は続いてる。
結婚した時も、子供が生まれた時も私は彼女に会いに行った。彼女は自分の進む道を今でも私に報告してくれる。だからそばに行ける。
そして、私はすぐに返事をする事ができる。
これから彼女に何があったとしても、会いに行くのだろう。
私たちは「つきあって」いるのだから。

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