見出し画像

2022/4 気になった記事


"レベル1のときから住んでいる町から出ないで良いのか?
・その町から出られないのは、ふつうは仕事や家族の問題ではなく、自分のレベルが低いからだ。
・快適な生活を送ってるのは、スライムばっかり倒してるからだろ。
・悪い魔物を倒して町を救ったら、ヒーローになってちやほやされるかもしれない。しかし、その町を去れ。
・レベル20になったら転職するだろ。レベル1に落ちるのが怖くて魔法戦士になれるか。
・もし強い敵にやられても、教会からやり直すだけだ。お金はなくなるが、経験は残っている。
・悪い奴がやってきて、悪に支配された世の中を作った。でも、環境が悪いから何だ?戦いながら、こつこつレベルを上げて強くなる以外に、何ができると言うのか。
・子供の頃のワクワク感を忘れないで。強くなろう。旅に出よう。冒険しよう。戦って、負けて、やり直して、また戦おう。"

日本の人って、人生のスケールを学歴に合わせがちです。自分はここまでって勝手に思ってしまってリスクを取って挑戦しないというところはあるかなという気がします。でも、ほんとはすごく実力がある人がもっといっぱいいて、そういう人が起業家として花開くことは、たくさんあると思うんですよね。

起業家精神って僕は文化だと思うんです。文化というのは、論理的に説明できるものとか本で学べるものじゃなくて、どういうときに泣いたり笑ったりするのかという、感情を動かすシステムの話をしていると思うんですね。それがほかの人と違うときに、そういう文化があるという感じだと思うんですね
そこにいる人と一緒に笑っていたり、怒っていたり、泣いたりしていると、それが僕らにもうつるんですよね。これは努力の問題ではなくて、一緒に感情を共にしているとうつる、ウイルス的なところがあると思うんですね(笑)。ギリギリの戦いを楽しんじゃおうみたいな、変なウイルスに冒されているわけです。それが楽しい、という。

無難にMBAを取ってから起業しようという人が起業に向いていないという観点は僕も結構同意なんですけど、僕がいつも評価しているのが、海外のMBAを取りに行く人たちなんですね。それは全然無難じゃないですからね(笑)。その時点で日本の王道キャリアから外れちゃうし、2年もあったら昇進パスを失ったりしながら、自分の強みが通じない世界で戦おうという姿勢は起業家的にはプラスですよね。
だって、いきなり知らない国に行ったら不確実性の塊ですよ。その中で授業を受けてちゃんと卒業するというのは精神的にはかなりきつい作業で、日本人が日本のMBAに行くとか、アメリカ人がアメリカのMBAに行くのとはわけが違うんですね。つらさのレベルが違うし、失うものとか、得られるもののスケールも違うと思うんです。ある意味、そこにあるのは、プライドを捨ててもハングリーに学びにいくというマインドセットで、これは起業家にすごく向いていると思うんですね。自分が全く分からない世界、不確実性の中で戦う根性と勇気は、すごくプラスになる起業家教育だと思います。日本人でもアメリカのMBAを取りましたという人で成功している人は、いっぱいいるじゃないですか。

めっちゃいますよね。逆に、割合でいうとアメリカではMBAホルダーが、そんなに成功していないと思うんです。シリコンバレーでは、外国人のファウンダーで成功している人は多いですけど。レイターステージだったらトップMBAの人を入れたらいいと思いますけど、最初に起業する起業家としての評価としては、がんがんリスクを取れるように、失うものがない人のほうがいいというのは僕自身の投資家目線からしても分かる。その観点からMBAホルダーはダメですよね、と言っている人の気持ちはむちゃくちゃ分かるんです。国内のMBAに行っているやつなんて何もリスクを取っていないじゃん、ということですよね。

僕は東海岸のオフィスにいたから、そういうイスラエルの会社とのつき合いが多かったんです。シリコンバレーにいるとその辺はあまり見えないんですけど、ボストンとかニューヨークにいると、良く見えるんです。ニューヨークの会社ですといってるけど、中身を良く見てみるとイスラエルというパターン。ブランディング上、イスラエルだと言わないし、買収になったときもアメリカの会社なので、誰もそういう話は言わないわけです。

僕が個人的に最大のボトルネックだと思っているのは、日本の雇用の流動性の低さなんですね。そういうことも含めて全部を強化していかないと、日本の次の産業を担っていくような会社は作れないと思います。それに対して取るリスクとして、VCファンドに出資するLP投資家のみなさんがリスクを取ってくれるんだったら、いや、もうどんどんやったらいいじゃないですか、と思います。その中からスーパースターVCが生まれるかもしれないわけです。小規模のファンドだったらそんなにリスクもないわけだから、いろんな若い起業家にチャンスをあげるのと同様に、若い投資家にチャンスをあげるというのも、僕はありだと思います。

ホンダ創業者の本田宗一郎さんが言っていたことは、今ではリーンスタートアップなどの方法論で裏づけられている「スタートアップの当たり前」の話をしているわけですね。それに憧れてホンダに入ってきている人がすごく多いんです。だけど、どうしても創業期のホンダから遠くなって、リスク回避しなければなくなった現状がある。その中で、もともとのホンダの魂を取り返したいとみんな思ってくれているんです。だから僕たちの声をすごく良く聞いてくれていると思います。

なので、プロダクト開発だけではなく、コンサルティングとかアドバイザリー的な、うちの強みでレバレッジをかけているというところもやっているんですね。

Drivemodeの中でそういうことをするためだけにコンサルティングチームを立ち上げているところで、DXのプロジェクトでも、うちのITシステムをホンダに合わせるのではなくて、逆にうちのシステムをホンダ側に開放して、もっとアジャイルなプロダクトづくりをしてもらえるようにするといった取り組みを進めています。

そういうこともあってDrivemodeは社員が多数残っているんですよ。日本の会社がシリコンバレーの会社を買ったら2年ぐらいで誰もいなくなるのが普通ですよね。初めての買収でチームが2年も残っているというのはほとんどないし、クロスボーダーでやるというのもほとんどない。それを製造業とソフトウェアでクロスインダストリーでやるというのもほとんどない。これだけ規模の差がある会社でやるというのもほとんどない。本当に文化が違うもの同士が一緒にやって行くのはめちゃくちゃ難易度が高いわけです。であるのに、Drivemodeの社員のほとんど全員が残って仕事をしているのは、ひとえにホンダさんの努力です。

うちはずっとわがままで、引き続きわがままですけども、それを聞いてくれる度量がホンダさん側にあるから、みんな残ってホンダのためになるようにと日々悩みながら仕事をしているんですね。新しい環境でストレスがある中でも、みんな残ってホンダのために何ができるだろうと戦ってくれている。それは、ホンダが信頼して任せてくれているというのもあるし、ソフトウェアのプロとしてのリスペクトもしてくれているからですね。Drivemodeチームとしてもホンダを信頼して役に立ちたいという思いを持ち続けられているんですね。

これは日本のクロスボーダーのスタートアップ買収事例としては、すごいことだと思うんです。もっとハイライトされるべきで、とてつもない成功だと僕は思っているんですね。普通はこうはいかないと思います。日本の大企業がここまで違う会社を買って空中分解しないなんて、めちゃくちゃ難しいですからね。

――そういう意味では、スタートアップを買収して、出島的に組織の横にくっつけるというのは、やり方としてはいいんでしょうか。1つの勝ちパターンとして。

古賀:そうだと思います。ソフトウェアの新規事業の企画とか、新規プロダクトの企画って、やっぱり専門職だと思うんですよね。何か新しい部署を作ったからできるものでもないですよね。

新規事業で戦う相手はIT企業だったり、スタートアップだったりするわけだから、製造業のスピード感がこうだから仕方がないです、という言い訳は許されないですよね。そういう中でやるとすると、Drivemodeのようなスタートアップを、システムや経営システムごと導入して、そこに大きく任せていくというほうが理にかなっています。スピード的に圧倒的に速いですよね。正面から全部を作りかえていくとなると、それだけで何年もかかっちゃいますからね。できあがったスタートアップを買ってきて、それを拡大して行くほうが、よっぽどスピードは増しますよね。

組織的にも、Drivemodeは最初は本田技術研究所の買収だったんですけど、もう組織的には本社側に移管されています。今は本社に直接ぶら下がった組織なんです。

いま日本の自動車産業が厳しいのはハードウェアにフォーカスしすぎているから、というのは、そうなんですけど、そもそもモビリティーってそんなに歴史は長くないんですね。農業革命で人が馬に乗るようになったわけですね。で、一定のところでニューヨークとかで馬の死体とか、馬の糞とかの管理が難しいというストレスがある中で産業革命が起こって車が生まれた、と。産業革命が作ったのは車というよりは、ハードウェア、つまり機械が定義するモビリティーシステムなわけですよ。産業革命時代の機械を前提にすると必要になるもの、例えば道路、標識やガソリンスタンド、免許、法律がある。それらが組み合わさってシステムを作っているわけですよね。

農業革命、産業革命ときて、次が情報革命という大きな流れの中では、モビリティーはまだ情報革命には至っていない。つまり、ソフトウェアが設計するモビリティーシステムというところまでは至っていないという時点で、本当の革新はまだこれからだと思います。

情報革命が起こるというのはどういうことか。例えば、手紙という物理階層システムが電子メールやインターネットに置き換わって行ったときに何が起こったかというと、そもそもTCP/IPみたいなプロトコルがあって、それに合わせて物理線とか、ルーターの仕様とかを決めて行ったわけですよね。結局、ソフトウェアが全体のシステムを再設計しているわけであって、郵便の中の特定の部分だけソフトウェアで自動化することで、人間のエラーを減らしましょう、という話をしているわけじゃないんです。そういう意味でいうと、産業革命時代のシステムを前提としたEVとか自動運転というのは産業革命の範囲内から出ていないと僕は思うんです。システムそのものは変えられない前提で特定の部分のソフトウェアの役割を増やしているだけなので。手紙の配送を一部AIを使って自動化している程度の話で、インターネットが手紙をメールで置き換えたというスケールの変化ではない。

でも、今後モビリティーにおけるソフトウェアの進化が一定のところまで行くと、どこかで「これ、インフラ自体がおかしくない?」という話に絶対なるんですよ。「この道路じゃないでしょ?」という議論が出てくるわけです。そのときにソフトウェアありきの物理システムが引き直されると思うんですね。

人間とか資本主義って嫌なものを排除していくわけなので、絶対無理だと思っていても実現していくんですよ。結局、人間はどこでもドアが欲しいわけです。速くて、安全で、クリーンで、使い方も簡単で、何のルールも要らないという、そういうものを求めている。これは市場圧力として、いつまでも続きます。その中で産業革命時代のような今のモビリティーシステムが永続するということはないでしょうね。

ソフトウェアが継続進化を繰り返す中で、その果たす役割が一定地点を越えたところでインフラそのものが一気に再設計される。その前段階である自動運転などのソフトウェアの進化は、過渡期の技術に過ぎないかもしれない。でも、だから意味がないわけではなく、地道な継続進化の繰り返しが情報革命の起爆剤になるんでしょう。だから、今、ハードウェアとソフトウェアを融合しながら、ソフトウェアを使って自動車を再定義する仕事って、人類にとってすごく重要な役割だと思うんです。

ハードウェアとソフトウェアを融合したモビリティーの情報革命において、日本が果たせる役割はとても大きいと思うんです。本来、ソフトウェアと、自動車というハードウェアは、日本が強い部分の組み合わせなので、こういうところに日本のチャンスはまだまだある、と。逆に、こういうところ以外に何があるのかよく分からないんですけど(笑)

当然、リスクもすごく高いんですけど、僕たちみたいに日本人かつインターナショナルな人間が世界の役に立てるという、すごくおもしろい領域だと思うんです。今後10年、20年をすごく楽しみしているんです……という話が、ちょっとリクルーティング的な意味合いを含めて言いたかったことですけど(笑)、それが僕のビジョンですね。

自分の幸せに関することは戦略的に考えないと決めているんです。大事な人生の決断は戦略的に考えちゃダメだと。例えば小学生が「僕は25歳で運命の人と出会って結婚するんだよ」と言っても、それって分からないじゃないですか。だって、まだ好きな人に会っていないでしょって。事前に自分の感情を予測するというのは基本的に愚かなことだと僕は思っているんですね。そのときに感じたことに、僕は素直に従うことにしています。

そのときに起業したほうが楽しいと思うことがあれば、ひょっとしたら考えるかもしれないし、考えないかもしれない。でも、僕からすると、そこは全然重要ではないんです。出会いがあって恋に落ちるまでは、恋を求めていないタイプなんで(笑)。別に無理して、もう1回起業家にならなきゃいけないとか、そういうつもりも別にない。

逆に言えば、それぐらい重要なことなんですね。重要なことだから、そのときの自分の感情に任せる。だから、事前に計画を立てるということは絶対にやらないように気をつけているんです。そうすると目が曇りますからね。どうしても結婚しなきゃいけないと思うと女の人を探し始めちゃって、幸せになることよりも、そっちを優先しちゃったりする。自分に素直にいられるように大事なことは考えないというのが僕の人生のポリシーなので、あまり先のことは分からないですね。


ドラクエ人生論のようなゲーム的に言うと、ゴールドで買える武器って、最後のほうはあまり強くないんですよね。大事なものって全部無料だと思うんです。家族とか、信頼とか、健康とか、そういうほんとに大事なものって全部無料じゃないですか。そういうのは、僕は昔から大事だと思っていたんです。正直、資産が増えたということはいいことだと思いますが、それで自分の生活がどうかというのは子どもの教育上も、何も変更する気はないです。

僕から見ると、取れるリスクが増えたということだけが起こったという感じですね。お金がないから取れないリスクというのは確かにあった、と思います。でも、ある程度のイグジットをして株を買っていただけると、もっとリスクを取っても大丈夫になる。今までもリスク感度は低かったんですけど、さらになくなりましたね。

さらに、人にどう思われるかとか、失敗とか、そうしたことが、さらにどうでも良くなるという効果がありました。起業家的な考え方でいうと、オレはダメージをなかなか受けなくなったよな、だったら、もっとリスクを取って戦っても大丈夫だよという感じですね。

無理そうなことほど挑戦する価値があるわけです。日本でグローバルなビジネスを作っていくというのは、ほとんど無理なわけじゃないですか。無理だからこそやる価値があるわけですよね。それを分かっていてやっているんだったら、簡単にできるなどと思わずに、ちゃんと、やり方を学んでやっていかなきゃいけない。

ただね、日本人に限らず海外展開って、ほとんどの国の人ができないんですよ。中国とか韓国の人がグローバルのビジネスを作って成功したケースって、どれぐらいありますか、というと、ほとんど思いつかないですよね? モノじゃなくてサービスで成功した事例。

クラウドのSaaSで、日本で中国のサービスを使っていますというのも、僕が知る限りでは聞いたことがないです。それぐらい、どの国でも海外展開というのは難しいわけです。

ただね、ニューヨークやボストン、サンフランシスコあたりは、異常に海外展開ができる人の層が厚いんです。幅も広いし、層も厚い。アメリカの会社が日本展開するといったら、僕みたいなやつがいっぱいいるわけじゃないですか。起業して日本の会社も作ってみたいなと思ってる人間がゴロゴロいるわけですよ、このエリアには。そういう人をうまく捕まえて任せるという度量も要るのかなと思います。

日本の起業家がシリコンバレーに来てうまくいかないのを見て思うのは、やっぱり任せないということですよね。自分は日本のことを分かっているし、自分のビジネスをよく分かっている。だからアメリカでもうまくいくはずだという前提があって、現地の人に任せる度量がないことが多いんですね。

少なくともシリコンバレーやボストン、ニューヨークには、そういうことをやった人がいっぱいいるのに、そういう人を使わずに自分でやって勝てると思うのは分析力が低いと思うんですよ。それは自己分析が足りないことが多い。

海外展開って簡単じゃないから、できない理由をつぶしていくわけですよね。海外人材は給料が高い? その給料が出せないんだったらやめれば? という話だったりするわけです。それを自分の戦略で、自分の思い描いているコストで、こういうふうにやりたいという思い込みで失敗していることが多いと思うので、できるだけ頭を柔らかくするのが大事です。自分の常識は間違っているし、自分の無知と無力を認めた上で、どういう体制で攻めるかということを考えればいいだけのことだと僕は思いますね。そこのところで、自分の能力を過大評価しちゃう起業家は、やっぱりうまくいかないですよね。

あの人事も結構ニュースになっていたと思いますけど、そういうネットワークを作って信頼できる経営者としてアメリカの人材を持ってくるというのは当たり前のことだと思うんですね。アメリカのほうが給与テーブルが高いんだったら、社長の自分より3倍出せばいいじゃないですか。それはできないけど成功したいっていうのは、僕には良く分からないです。そのプライドとか、自分の常識感が会社のボトルネックになっちゃうので、そこは謙虚に、したたかであったほうが会社としてはいいんだろうなと思います。

地域別の比率では7割以上がインドネシア、残りの3割弱が英国となっている。2022年のGMV目標は21年のほぼ倍となる約120億元(約2200億円)を掲げているという。

これらの情報についてTikTokの運営元バイトダンス(字節跳動)に問い合わせたが、原稿執筆時点で回答は得られていない。

一方、TikTok中国版・抖音(Douyin)の国内EC事業では、サービスを開始した2020年にGMV約5000億元(約9兆1500億円)を記録した。21年はさらに増加して1兆元(約18億3000億円)とも言われている。

思ったほど上手くいってないね。

エルメス・インターナショナル2021年12月決算が2月18日に発表されたが、注目すべきことが2つあった。ひとつは日本円換算(1ユーロ=130円)で、同社が1兆1693億円(89億8200万ユーロ)をマークして、「エルメス(HERMES)」単体でも、「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」「グッチ(GUCCI)」「シャネル(CHANEL)」と並んで1兆円ブランドになったこと。そしてもうひとつは日本における「エルメス」の売上高が1271億9690万円(9億7700万ユーロ)だったことだろう。
業界関係者から2021年12月決算における「ルイ・ヴィトン」の日本での売り上げは2000億円程度という数字を入手することができた。かなり信頼できる数字でやはり王者は揺るがない強さを維持しているようだ。ちなみにLVMHジャパンは2021年で約6000億円の年商を計上している。その3分の1が「ルイ・ヴィトン」ということで、まあこれは妥当な数字だろう。LVMHの年商8兆円だから、それをみるとすでに日本はその7.5%までシェアを下げていることになるが、昨今のナショナル・パワーの減退からみて納得できる水準とも言える。2000年前後にはLVMHにおけるLVMHジャパンのシェアは15%前後だったと記憶する。

怖い、関わりたくはないなプライベートでも

初の日本出資だがどれぐらいKyashに期待しているのだろう

法人の送金分野は法改正もありアツい分野であるな、これから楽しみ。

Paidy,スマニュー,メルカリが3大日本在住外国人エンジニアを惹きつけるて聞いたことある。  BizサイドだとGojoもすごいグローバル化

18年3月の開始当初からみずほの口座と接続し、同行にとってはキャッシュレス戦略の重要会社だった。当時、みずほはプリンの買収も視野に入れていたが、事業戦略の方向性の違いや同社のバリュエーション(企業価値評価)の上昇で実現しなかった。自社でもスマホ決済の展開を維持したかったみずほは19年、独自の「Jコインペイ」を開始。この決済アプリの基となった技術のライセンスを提供したのがプリンだった。

彼らは日本が無条件降伏したと思っている。「無条件降伏しても、この通り大丈夫だ。大したことではない。だから命を大切にした方がいい」と考えている。日本は無条件降伏しなかったこと、そして降伏した相手がアメリカだから、日本が今ある姿になっているのだということを知らない。  これまで『歴史問題の正解』(第6章「日本は無条件降伏していない」)、『日本人はなぜ自虐的になったのか』(第4章「ボナー・フェラーズの天皇免責工作と認罪心理戦」)、『一次資料で正す現代史のフェイク』(第7章「日本が無条件降伏したというのはフェイクだ」)などでも明らかにしたが、日本は「国体護持」という条件つきで降伏している。その証拠に、真っ先に裁かれるはずの天皇は、極東国際軍事裁判でも、戦犯になるどころか起訴さえされていない。  当時のアメリカの世論調査では、天皇を絞首刑にしろとか、裁判にかけろとかという意見が圧倒的に多かったが、「国体護持」の条件つきなので、占領軍の最高司令官ダグラス・マッカーサーには、それはできなかった。それをすれば、日本側指導者は、約束が違うと立ち上がり、占領統治が困難になるからだ。  なぜ、ハリー・S・トルーマン大統領が「国体護持」の条件付き降伏まで譲ったのかといえば、硫黄島、沖縄での日本軍の死を恐れぬ戦い方を見て、本土上陸作戦を避けたいと思ったからだ。  1945年6月18日のアメリカ軍幹部と政権幹部の合同会議で、九州上陸作戦が行われれば、作戦に加わった19万人のアメリカ将兵のうち、約30%のおよそ6万3000人が死傷するという試算が示された。これは到底許容できるものではない。関東上陸作戦ではさらに膨大な死傷者がでることになる。そこで、本土上陸作戦の代替案として、日本が望む「国体護持」という条件付きで降伏を求めることを考えた。  この30%は、硫黄島、沖縄での死傷率からはじきだされたもので、戦争初期では15%前後だった。つまり、日本軍の抵抗は、アメリカ軍が日本本土に近づくに比例して激しくなったということだ。  日本の将兵は無駄死にしたと考える人がいるが、それは間違いだということがわかる。彼らの決死の戦いがアメリカ将兵の死傷率を高め、それが「国体護持」の条件付き降伏案を引き出したのだ。ウクライナ人に無駄死にだという日本人はこの事実を知らないのだ。  もう一つ、トルーマンがこの降伏案をとった理由は、ソ連の参戦だった。予想に反して、日本は原爆投下後も降伏しなかった。拙著『「スイス諜報網」の日米終戦工作―ポツダム宣言はなぜ受けいれられたか―』でも明らかにしたように、昭和天皇は「国体護持」できるという確証が得られるまで降伏するつもりはなかった。スイスやスウェーデンの情報から、降伏してもアメリカは少なくとも皇室を廃止しない公算が大きいと知って、降伏を決意している。

自衛隊は“日本を守る組織”ですが、これまで特定の国を仮想敵国と明言したことはありません。ただ現実問題としては、戦闘になる可能性が高い相手としてロシアと中国を想定しているのは確かです。戦場になる可能性が高い場所としては、北海道と南西諸島。とりわけ沖縄の南西諸島は台湾からも近く、自衛隊は現在も与那国島や宮古島に部隊を配置するなど防衛体制を強化しています」  尖閣諸島周辺海域には中国海警局の公船がたびたび侵入し、緊張した状態が続いている。自衛隊には専守防衛という鉄則があり、「先に撃たれなければ撃てない」とさえ囁かれているが、自衛隊はどんな状況になったら攻撃を開始するのだろうか。 「自衛隊は、政府が防衛出動命令(自衛権に基づき必要な武力の行使ができる命令)を出すまで武力の行使ができません。つまり、目の前に敵軍がいても防衛出動命令が出なければ基本的にこちらから撃つことはできないんです。ただ存立危機事態(日本と密接な関係にある他国が攻撃されたことで、日本国民の生命、自由が脅かされる明白な危険がある事態)として、台湾近海などで活動している米軍の艦艇が攻撃された場合には反撃する可能性もあるでしょう」

良さそう

そうですね。松本に投資をして、いい起業家に賭けるというのはダウンサイド(下振れするリスクまたは損失するリスクの意)が限られていて、アップサイドは無限で素晴らしいなと思うようになりました。さらに他の投資に比べて、 良い起業家に投資することは、自分も少し一緒にやっているように思えて、大きな喜びがありました。
ベンチャー投資も最初はビジネスモデルや市場の大きさを徹底的に分析したりしてました。でも、ビジネスモデルや市場の大きさにかけた案件はことごとくうまくいきませんでした。結局、よく知っているマネックスの松本や、惹かれた人たちに投資した方がうまくいった。そこで思うのようになったのは、誰がやるかに尽きるんだということ。

その人の個性を思いきり出せない限り、良い会社も良い学校も作れないと思うんです。答えはなくて、その人(経営者)の個性を社会の基準に関係なく表現できる会社はすごく面白い会社になると思います。常に中心にいる人たちの個性が伸びるように一生懸命応援するようにしています。

と言うか、時代の流れ、経済の流れはありますよね。自らの国で中産階級がどんどん増えて、需要が増える中でやっている企業と、ある程度できあがった市場でやっている企業では、置かれているポジションが全く違いますよね。

日本の高度経済成長期に現れた松下幸之助や本田宗一郎、盛田昭夫みたいな偉大な起業家はこれから、中国やインドから多く出てくるだろうと思うし、それは自然なマクロの流れだと思うんです。今から日本で繊維業をやろうとしても、簡単ではないですよね。マクロで成長する分野や場所にいないと、事業や企業をスケーリングすることはより難しいですよね。

人間の幸せには「3つのキーワード」があると思うようになりました。

1つは、「絆」。家族や友人、会社組織、地域社会など何でもいい。ダライラマみたいに宇宙につながっている人はすごく幸せですよね。自分が何かとつながっている実感がないと、ほかの条件がいくら恵まれていても、人は幸せになれません。サッカーや野球や音楽だって、実際の場所に行ってみんなで応援したり聴いたりする方がより楽しいし、どんな成功者でも晩年一人だととても淋しそうですよね。当たり前すぎて忘れがちですが、「1人じゃない」という感覚は、幸せの大前提です。

もう1つは、「成長」。アイドルやスポーツ選手が典型ですが、若いころにピークを迎える職業だと、新しく登る山を見つけられないとピークを過ぎた後の長い人生で苦労する傾向があります。逆に鮨職人とか、80歳になっても自分なりの技を追求して現役でいられる人は、人生を通して幸福度が高いように見える。違いは何かと考えると、何歳になっても「成長を実感できるか」どうかなんですね。

そして最後に、「社会の価値観に縛られない自分を表現すること」。学生時代にものすごくユニークでとがっていた人が大企業に就職して、しばらくたって再会すると昔の個性を失って割と普通のいいヤツになっていたりする。無意識のうちに、社会的な優劣やルールの“オリ”に自分を閉じ込めてしまい、本来好きだと思うこと、面白いと思うことがわからなくなってしまうんですね。そういうオリ――会社とか肩書きとか常識といった社会上の価値観に関係なく、自分自身の内から少しずつわき上がる個性を重ねていくこと。それができる人が、幸せな人生を送れるのではないでしょうか。


事なのは、ジョブズが人生で学んだことすべてをマックの開発に注ぎ込んだことです。100%の限界を超え、自分の個性を120%出し切ったからこそ、人々に感動を与える画期的なコンピューターが生まれた。

小林さんの場合は、彼女の不動産投資の経験から新しい素晴らしい校舎を建て、ユニセフやスタンフォード時代の人脈から素晴らしい先生、子どもたち、チームメンバーを集めて来て、ついには母校のUWC(United World College)グループへの加盟を進めています。もし例えば、モダンアートをやっていた人であれば廃校をモダンアートで飾ってクリエイティブな校舎から始めるなどということもあり得たと思うんですよね。120%自分自身を表現しているから自分が過去やったことを全部注ぎ込んでしまう。それこそが「コネクティング・ザ・ドッツ」の本当の意味だと思うようになりました。

自分の再構築について

私たちは親から、あるいは先生から、あるいはいろんな大人たちや世間から、知らぬ間に「呪い」をかけられる。これはこうすべき、これはこうでなければならぬ。「べき」「ねばならぬ」という呪いをかけられ、それを信じ込んでしまう。これはある程度仕方のないことかもしれない。

18歳になる前くらいから、父に繰り返し言われたことがある。「大人になったら、自分で自分を再教育するように」。
父は次のように語った。「あの時、お前にああしてやれてれば、と思うことがたくさんある。しかしいろんな事情があってどうしてもできなかった。それによる歪みがお前にはある」。

「どんな歪みが自分にあるのか、どうやったらその歪みを修正できるのか、自分で試行錯誤しながら見つけなさい」。
二十歳になり、大学に入学してから私は自分の再教育を行った。ある程度メドが立つのに三年の時間が必要だった。

小さな頃に何があったか思い出し、それが今の自分にどう影響したのか。そうしたことをどんどんメモした。自分はもともとそういう人間、と思っていたら、いろんなきっかけで性格や考え方が形成されていくことに気がついた。だとしたら、その歪みを修正することもできるはず。

こうした自分の再教育、あるいは棚卸しをすることって、大切だと思う。昨今は毒親という言葉もある。不必要に数多くの呪いをかけてくる親のことを指すのだと思うけど、そうした場合でも、自分で自分を見つめ直し、呪いを一つずつ解いていく必要がある。


先日、電話をいただいた女性から後日談が届いた。結論から言うと「恋愛の欠乏感はダミー。自分の場合は、全部父親との関係だった」という報告を受けた。元カレに会うために車をかっ飛ばしたが結局会えず、強烈な欠乏感について思いを巡らせながら車中泊をしたら父親の夢を見た。それは非常にさみしい内容の夢で、雷に打たれたように「父親にメッセージをしなければならない」と思い、号泣をして過呼吸になりながら父親にメールを送った。父親が家族のために一生懸命働いてくれたことには感謝をしていること。ただ、自分はずっとさみしかったこと。自分は父親に失望されているんじゃないかと思うこと。要らない人間なんじゃないか、がっかりされて見捨てられる人間なんじゃないかと思うこと。恋愛でも破滅的な行動をとってしまうのは、どこかで「これだけやっても、それでも受け入れてくれる?」と相手を試してしまうこと。当然相手は離れること。そして「ああ、やっぱりそうなのか」と絶望を繰り返すこと。でも、本当に受け入れて欲しかったのは彼氏ではなく父親であったこと。こんな自分でも愛して欲しいと思っていること。うんざりされるのが怖いけど、本当は父親ともっと話してみたかったと思うこと。それらを、彼女は号泣して過呼吸になりながらメールに書いた。

父親から返信が届いた。そこには謝罪の言葉が書かれていた。詳細は割愛するが、これらを通じて彼女の中にある『なにか』が氷解した。氷解しただけではなく、これまでの人生がひっくり返るような驚きを覚えた。父親は、メールの中で「お前をずっと愛していた。ただ、愛し方が下手だったことを反省している」ということを書いた。これが、彼女の中にある『なにか』をひっくり返した。父親に愛されていたと言うことがわかった瞬間、彼女の中にある『なにか』が満たされたのだと言う。そして、彼女は私に事後報告ですと言いながらメールを送ってくれた。そこには「間違いなく、人生がひっくり返った瞬間でした。恋愛の欠乏感はダミーですね。」と、書かれていた。

前々から「家族の問題をクリアすると、人生はボーナスタイムに突入する」みたいなことを感じることが多々あった。私の場合、25歳の頃に実家の新潟を離れて東京で暮らしていた頃、色々な不幸が同時に重なり躁鬱病と統合失調症と椎間板ヘルニアのトリプルパンチ(本当は借金もあったからフォースパンチ)を受けて死にそうになっていた時、元々親になにかを頼ることが苦手だった私が実家に電話をしたら父親が出て、それとなく事情を話したら「帰ってこい」と言われた時になにかが溶けた。親に甘えることはタブーであり迷惑をかけることなんて言語道断だと思っていたが、本当に帰ってもいいのかと怯えながら尋ねる私に「当たり前だろう、お前は俺の息子なんだから」と言われた時になにかが溶けた。

カウフマンを卒業。ロジスティックやメディカルに注目。

ウォルマート傘下のインドの電子商取引(EC)大手のフリップカート(Flipkart)が、今年予定していた米国での上場計画を2023年に延期したことが分かった。関係者2人が明らかにした。

同社はすでに、新規株式公開(IPO)時点の評価額を当初の見込みから約3分の1引き上げ、600億〜700億ドル(約7兆2000〜8兆4000億円)としている。

出木場さんのお言葉を借りると、「明治時代より海外の事例に学ばなくなってしまった」「タイムマシン対応できることをしようとしない」。おっしゃる通りだなと思った。SaaSビジネスはアメリカからおよそ15年遅れ。
もちろんマーケットの性質に大きな差分はあるものの、複数回日本と同じサイクルを回しているアメリカの起業家たちから学ぶべきことは計り知れないと思う。言語の壁や、国内にベンチマークがあること、そして国内の起業家やVCとしか交流をしないという状況があり、海外から常に何かを学ぼうとしている人が圧倒的に少ない。非常に耳が痛い。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?