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【SOGI】ノンバイナリーのモヤモヤ、その場で指摘すべき?

考えても考えてもわからないことは、一度書いてみるといいんだ。

とても久しぶりにnoteを書く。ただいま。

一昨日すごい疲れることがあった。僕は8月半ばからスウェーデンに留学している。その日は移民庁に居住許可を取りに行く日だった。朝からバスで1時間半かけて、同じ日本の大学から来た4人の学生とÖrebroという街に向かった。

居住許可をもらう手続きも終わり、僕たちは雨の中初めて訪れた街をブラブラした。おもしろそうな雑貨屋や2nd-hand storeを巡り、ひと段落したところでFikaしようとEspresso Houseに立ち寄った。

オーダーを待ってる間、後方から日本語が聞こえてきた。振り返ると自分たちと同い年くらいの日本人らしき人たちがテーブルを囲んでいた。向こうも僕たちの話し声を聞いて気づいたらしく、「日本人ですか。」と声をかけてきた。

軽く話すと、相手はこのあたりの大学に留学している学生らしかった。それも2週間ほど前からということで、僕たちがここにきたのと全く同じ。出身大学は日本でよく知られた公立と私立の大学だ。

僕が注文したモカ・ラテの完成をカウンターの前で待っている間に、彼らは僕の友達が座っている席の方にやってきた。4つほどの小さな丸い机がくっつけられている。正直僕は歩き回って少し疲れていて、気の知れた友達とゆっくり休めると思ってカフェに行きついていたから、内心ちょっとめんどうだった。初対面でしかも数人のグループと自己紹介から話すのは、ロケットを飛ばすほどのエンジンをつむ必要がある。僕はこういう人間だ。

まあでもこっちで同じ境遇の他大学の学生と関われる機会はなかなかないだろうし、こんな偶然は奇跡に近い。これも良い出会いかと切り替えて、モカ・ラテを手に取り席に向かった。

席について最初に耳に入ったのは、僕が座っていた席とは対極した席に座っていた学生の発言。鮮明には聞こえなかったが、僕たちの男女比が女4人に対して男1人に見えたらしく、その男と思われる学生に対して「男1人?大変だねー。」(ニュアンスはこんな感じ。どんまいだったかなんだったかはっきりとは覚えてない。) と声をかけていた。

このクソ発言に言いたいことは山ほどあるけど冷静に書く。

僕は自分と僕の大切な友人たちの性別を勝手に決められたことにもちろんいつも通りため息がでた。それに、僕たちは男とか女とかそんなんじゃなくて、互いを人としてリスペクトし合う関係だった(みんなは知らないけど少なくとも僕はそう感じていた)。その男子学生と思われた学生に対して、僕は他の学生と変わらず本当に大好きだったし、すごく仲良くしていて、僕は、なんていうか僕は、その子に対しても、僕たち女子学生と思われた学生に対しても侮辱的だと感じた。

お前のそのクソみたいなものさしで僕たちの関係を測るな。きもちわりー。

その後自己紹介の流れになって、僕たちはひとりひとり名前を言った。すると、はー。僕の斜め前に座っていた子が、名前を覚えようと復唱するときに、「〇〇ちゃんと、令ちゃんと、〇〇ちゃんね。」などと、勝手に「ちゃん」の敬称をつけてきた。

この数日前にも別のタイミングで同じことがあって、そのときに僕は何も言えなくて後悔したので、今回は「呼び捨てて呼んで。」と注文した。すると、「あ、タメ(同い年)だからね!そうするね!」と返された。そうじゃない。なんか変に親しくなりたいやつと思われただけだった。僕の言い方が悪かったのか。

その後に遅れてきた子たちからも、全く同じ仕打ちを受けた。それで僕は、いつもは気にせず口にでたものを一人称にするが、あえて「僕」を多用した。すると、「一人称 ''僕''っておもしろいね。」と笑われた。

もうとにかく疲れた。

一緒に留学してきた子たちや、スウェーデンで少し仲良くなった子たちと話すときは、僕は女の子でも男の子でも、あるいは日本人'でもなく、ただ人として接してもらえる感覚があった。自分の本名も忘れるくらい、僕はRayになれた。

でも、SELFでもSOGI研でもない、セクシュアリティやジェンダーに関してなんの知識もない(と信じたい)日本人の学生と話すのって、こういうことなんだ。もちろんすべてではないし、主語がでかいこともわかってるし、向こうサイドに気になっていた子がもしかしたらいるかもしれないけど。

僕はこういうとき、どうすればいいんだろう。もう何回も、何百回もこの自問自答を繰り返してきた。

彼らは悪気があるわけじゃない。男性でも女性でもない存在という概念をそもそも知らないのだろう。学ぶ機会がなかったのかも。

僕がノンバイナリーということを伝える。それで自分の発言の何がいけなかったか理解して改めてもらう。これは自分だけが傷つくことを止める方法だ。相手が学ぶ機会にもなるし、自分がスッキリできる可能性もある。

でも、あの空気の中会話を中断させて、そんなこと言えるのかな。心ないことを質問される可能性もあるし、説教するみたいになっちゃうかも。なんかごめんって感じになるだろうし、どんな反応されるかこわいな。自分のことを知ってもらいたいと思わない相手にわざわざ言うのも、負担がでかい。

スルーする。これはいつもやってることだけど、後からやっぱり言えばよかったとか、結局後悔する。社会のせいにしたって現状は変わらないし。自分のモヤモヤが募るだけだし。自分が犠牲になる覚悟で次は言おうって決めても、その場になると難しい。そんな必要ないって誰かに言われそう。でもやっぱり言わなかったらモヤるんだよ~。こうやって。

いまは同じ大学からきた留学生の子たちの中で、同じところでモヤモヤを感じたり、話せる友達がありがたいことにいるから、それで少しは楽になる。でも結局解決しない。これを当事者として指摘できるのは、僕だから。僕が言うべきことでも、言わなきゃいけないことでもないけど、言えることなのは間違いない。

はあ。それでなんとなくインスタを交換した後その子たちのストーリーを見たら、Örebroでプライドパレードに参加してたんだよ、、、もう嫌になっちゃう。言葉もでない。ノンバイナリーがLGBTQ+に入るのか、プライドフラッグにプライドを感じて良いのか、不安になってきた。そんなの入っても入らなくてもどっちでも良いんだけど。

僕は今のところ、親しくなった知ってもらいたい人にだけ自分のジェンダーアイデンティティについて話している。でも、オープンノンバイナリーとしてもっと強く主張して活動していくべきなんだろうか。学ぶきっかけになるとかこれからのノンバイナリーのためにとかそんなんどうでもいい。ただそうすれば、自分は楽になれるんだろうか。

今の日本で自分の存在を尊重してもらうことは、贅沢なのかな。

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