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病を抱えた人も、障害を抱えた人も、’健康’とされる人も、誰もが自分の人生を生きられる社…

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病を抱えた人も、障害を抱えた人も、’健康’とされる人も、誰もが自分の人生を生きられる社会を目指して。 "福祉の周辺"にいる医学生です。

最近の記事

「チクり」と「苦情」

私は小学生の頃、悪いことしてる同級生を見つけたら、当たり前のように先生に伝えるマジメな子どもだった。 貶めようとか思っていたわけではないけど、悪いことをしていたら注意されるべきものと思っていた。 その行動は悪ふざけしがちな同級生たちには「誰だよ、チクりやがって」と嫌われていたけれど、嫌われる道理はないと思っていた。 一方で、小学生の声がうるさいと行政に苦情を寄せる近隣住民がいるという話を聞くと、無責任なやり方だなあと思っていた。 苦情が寄せられたと行政が小学校に伝えれば

    • "止める"ということ。

      「キツくても『大丈夫』って言って、抱え込んでしまいがちな人を支えるにはどうしたらいいのかな?」 と、父に相談したことがある。 「そうだよなぁ、難しいよな。 そういう人に対しては、会うたびに注意深く観察して、「あれ?」と思うようなサインが見つかったら負担を減らしてあげるようにするしかないんじゃないかな。」 というのが父の答えだった。 しかしその違和感に少しは気付けたとして、次の行動につなげるのは言葉以上に難しい。 発表準備で追い込みをかけていた子が、 「朝からめまいと吐き

      • 「新聞紙もってきてください」の文化

        「文化」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。 伝統工芸品や伝統芸能以外に、挨拶やしぐさといった生活習慣も思い浮かべる人も今は多いように思う。 私もそうだ。 だから、なんとなく、自分は自分の文化を客観的に捉えられているような気がしてしまっていた。 授業で聞いたことだ。 先生は以前、外国にルーツをもつ子供たちへの日本語支援のボランティア教室で新聞紙をせっせとコピーする子を見かけたことがあるという。 どうして新聞紙をコピーしてるの? と聞いてみたところ返ってきたのはこんな回

        • ウラハラで、素敵な人たち。

          笑えるのは、楽しんでる証拠。 怒るのは、真剣だった証拠。 喧嘩するのは、一緒だった証拠。 つまずくのは、進んでる証拠。 裏切られるのは、信じていた証拠。 失恋は愛していた証拠。 「疲れた」は頑張った証拠。 「失敗した」は挑戦した証拠。 「もうやめようかな」は まだ希望を捨てずにいた証拠。 「素直になれない」は、 それだけ愛している証拠。 もう良いは、全然よくない証拠。 大丈夫は、全然大丈夫じゃない証拠。 いつもへらへらしている人は、 過去になにかあった人。 よ

        「チクり」と「苦情」