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"止める"ということ。

「キツくても『大丈夫』って言って、抱え込んでしまいがちな人を支えるにはどうしたらいいのかな?」
と、父に相談したことがある。

「そうだよなぁ、難しいよな。
そういう人に対しては、会うたびに注意深く観察して、「あれ?」と思うようなサインが見つかったら負担を減らしてあげるようにするしかないんじゃないかな。」
というのが父の答えだった。


しかしその違和感に少しは気付けたとして、次の行動につなげるのは言葉以上に難しい。



発表準備で追い込みをかけていた子が、
「朝からめまいと吐き気が止まらないんですよ」
と、ポロっと言った。


発表の日の前日にスライドや原稿を一気に仕上げることになるのは、望んでたわけじゃないけれど毎度のことだった。その子が夜遅くなっても活動できるタイプだったからこそ、それで乗り越えられてきてしまったともいえる。
だから、今回も同じようにして切り抜けていくことになるのかな、となんとなく思っていた。

だけど、zoomをつないでいたその子が「体調が悪いからちょっと休む」と言ってミュートにした後でチャットに送ってくれたその言葉が私の背筋を凍らせた。


元から寝不足気味でめまいが出がちだったとは言っていた。けど、吐き気がずっと止まらないというのは絶対"普通"ではない。

止めなきゃまずいかもしれない。そんな考えが突如頭をよぎった。

それでも、実際に止める判断を決心するのにはずっと長い時間がかかった。
その子は翌日の発表に出たい、他の参加者とも会いたいと言う。
でも疲れてるよね?と聞くと、「大丈夫」と答える。
明日が最後じゃない、一番の本番は3週間後だからと伝えると、「でも3週間後に結局今と同じ状態になるんじゃないかと心配になる」「ここで頑張れなくてどうするのと思う」と。

その子の気持ちもわかる。
今休んだからといって、明日から一気に効率が上がって事が進むかどうかなんて未知数だから。
その子が参加しているプログラムは社会課題の解決策を考案するというものだっただけに、正解のない中で答えを創っていかなきゃいけないしんどさがある。明日も明後日も何も良い解決策は生まれないかもしれない。だから焦る。今休んでどうするの?と。

zoom越しで相手の顔が見えないから、「めまい」と「吐き気」の深刻度はよくわからない。見えたとしても、どこがレッドフラッグサインなのかなんて私には判断できないだろうなとも思った。
それなら「やりたい」と本人が言っているのだから、まだまだ頑張れるのかもしれない。
まずいんじゃないかというのは私の杞憂なだけかも?むしろ、止めたいと思うのは、やりたいと頑張るその子に付き合って深夜まで作業したくない自分のエゴが実はあったりしないだろうか?という心の声もする。

その子の強い「やりたい」という思いを押さえつけてまで止める正当性があるのか。全然自信がなかった。


それでも。
心身が疲れすぎているからか、話し合いの意見がネガティブになっていた。
今ここで無理をきかせても、良いものが出来上がる未来が見えなかった。
逆に、1つ発表のチャンスを反故にして休んだとしても、どんな解決策の手段を選ぶのがよいかはゆっくり時間をかけてメリット・デメリットを検討した方が自信をもった答えを出せると思った。

そして、頑張り屋さんのその子が自分で「休む」という決断をすることは恐らくないという直感があった。誰かが止めない限り、きっと、本当に壊れるまで突っ走ってしまう。


だから。
「これは、戦略的な休みなんだよ。」
と言った。


批判的な意見しか出てこないときもある。体が疲れているときはなおさら。
そんな時に気合いでなんとかしようとしても、ガス欠のまま走るだけで、良い意見は出てこない。
そんなときは、しっかりと休む。
その後に上手く頭を働かせるために、戦略的に、休む。

布団に入ってたって「次の段取りは…」なんて考えてたら休んだことにはならない。焦ってるときはやってしまいがちだけど。
むしろ回復が遅れて遠回りになるだけなのだ。

意識的に頭を空っぽにして、これでもかというくらいに体を休める。
さぼるのではなくて、全力で休むのもまた仕事なんだ。



そんなことをたどたどしく説明して説得するのに、結局2時間くらいかかった。

その子の説得というよりも、自分自身を説得しているような感触があった。
止めていいのか何度も悩んで、その子の話を聞いて、一番良い落ち着き処を考え続けて。
それでも最後に「だから私は、今休むことを強く勧めるかな」と口に出したとき、声が震えていたのを覚えている。本当に、自分の決断を口に出すというのは緊張する。

しかもそれだけ悩んだって、自分の決断が合っていたのかなんてわからないのだ。最後の発表の日をその子が笑顔で迎えられたら万事良しなのだろうけど、その保証はどこにもない。だから怖い。

それでも今は「冷静に考えて私も行ったら100%倒れてたので、笑」「めちゃくちゃ感謝しました」とその子が後日伝えてくれた言葉を胸に、最善を尽くすしかないと思う。


私が運営に関わっていたこのプログラムを知らない人がこのnoteを読んでも、何の話かはわからないかもしれない。
ただ、危機を知らせるサインはどんなシチュエーションでもある程度共通しているのではないかと思う。
今回の状況において「止める」判断を下した過程が、状況は異なっていても誰かを守る判断をする参考になればと願っている。

なにより、いつかどこかで自分の大切な人たちがこぼすかもしれないサインを取り逃さないために、書き留めておく。

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