いつもの

こんにちは、レインです。
今回は定期的にある「書けないって事を書こう」の回。

でも、少しだけ感覚が違う気もするんですよね。
その感覚の違いが、何かしら表現の違いだったり、内容の違いになってくれたら面白いなぁと、期待と願望を添えてお送りしたいと思います。


さて本題(あれ?本題なんてあったっけ?)

「今日はなにやら感覚が違う」このことについてもう少し考えてみたいんですけど…
そうだな…

いつものは
「書けない…中々書ける気がしない…じゃあそのことを書こう」 ってなるんですけど。

今回は…書けないというか…浮かばない?まっさらというか。
心が凪いでるというか(笑)


いや、「書けない」も「浮かばない」も大差ないんですけど。
実際やってる事もここまで大差なさそうですし。

でも…この言葉選びの違い。
絶対何か変化が出るんですよ。
もしくは、何かの理由があって
「書かない」ではなく
「浮かばない」になってる。

今回だけなのか、それともこれ以降ずっとそうなのか。
何がきっかけで変わったのか、いつもと何が違うのか。

色々切り口は考えられます。

ただ何が面白いって
「これら切り口を出してみても、なんら思考が出てこない(笑)」


いつもなら出てくるんですよね。こういうとき。
分析していこうとすると、何かしら分析結果を返そうと脳みそは頑張ってくれます。

今日はサボってるんですかね。
疲れてるのかな…


確かに、今日は割とストレスのある1日でした。
・1年に1回あるかないかの団体客
・今までにない人間関係のトラブル
・今までにもあった人間関係の問題
・1年に数回しかやらない仕事。
・初見&教わってないミスも許容されない時間帯責任者。

…色々あるな(笑)
書き出してみると結構ありましたね。
そりゃ疲れるわ(笑)

でも、しっかり休んだんですよ?
帰ってきてから瞑想入れて、筆記開示(ノート書いて)、軽く睡眠取って…


寝すぎたか!?(笑)

でもその後、頭回す為に自転車でちょっと遠い自販機までアイスココア買いに行って一気飲みしたんだけどなぁ…


体温が戻ったから?
もうちょっと下げないと暑くてダメ?
それとも、やっぱり覚醒し切ってない?
逆に疲れが取り切れてない?

流石に考える事が多すぎますね。ピュシス相手だと。


あ、ピュシスって言うのは…
命って訳されるみたいです。

生命というか、身体と言うか。
感情とか、本能とかと近い気がします。

私が学んだ文脈では…
「我々はもっと、ロゴス(論理)ではなくピュシス(命)に従って生きるべきではないか」

みたいな話がされてましたね。


そうだ。皆さんは感じた事ありませんか?
もう一人の自分の存在に。

やらなきゃいけない事がある時に、できない時 とか
ダメだと分かってるのに、やっちゃったとき  とか

自分ではない何者かの意志が働いているかのような錯覚に陥った経験…
ないかなぁ…

無かったらもうピュシスをお伝えする術は私にはないので、最大限に想像力を働かせていただきたいのですが…(丸投げかよ)


まぁ、ぶっちゃけそういうのって
「自分が責任転嫁したいから」っていうのが理由付けの筆頭なんですけどね(笑)

「ついカッとなってやった」 的な
「殺すつもりはなかった」みたいな(言っちゃったよ)

でも、それならそれで、
その別な人格と向き合っていく必要があるじゃないですか。

またいつ「カッとなって」で、自分の身体を使って殺人してたら溜まったもんじゃないでしょう?(苦笑)

結局は「自分」なので何の責任逃れにもならないって事を踏まえたうえで…


どうやってもう一人の自分と向き合って行くか?
って話をしたいわけです。

その時「もう一人の自分ってなによ?」って事になるんですが(笑)
そこで役に立つのが「ピュシス」ですね。

「私のピュシス(私の命)は何を求めているのか?」
「意志」ではなく「命」が何を求めているのか。

資本主義の社会ではお金が大事だから じゃなくて
お金は命にかかわるから       みたいに考えたり。とかね。


でもそれでもやっぱり難しい訳ですよ
だって相手は「命」ですから。

考える事がめちゃくちゃある訳です。

お腹が減っているのかもしれない
頭が痛いのかもしれない
頭が痛いのは、昨日別れ話を持ち出されたせい?
それとも、雨が降っているから偏頭痛?
それともそれとも、プチ断食してたから好転反応?

残念、それ全部が要因でした! みたいなことってザラじゃないですか(笑)


でも、そうやって1個1個考えて、分かってあげていく必要がある。
ある意味、最も身近な存在ですからね。
常にそばにいて、同じ世界と時間を共有できる唯一の相手。
感情や思考まで共有されている。普通はあり得ない、言葉通りの一心同体。

本当に言葉通り「一心同体」の2人とか中々お目にかかれないですよね。
(なんかで見た気はします。 双子の頭が分かれて、胴体くっついた状態で生まれてきた事例があったとかなかったとか)


そのくらい、特殊な事例。
それを誰しもが持ち合わせている。(のかもしれない)

そして、そのくらい身近な他人なので
しっかり接する事が出来ないと。色々な不調を起こすわけですよ。

それこそ…鬱とか…さ。


社会の声が自分(意志)の中で大きくなりすぎて。自分(命)の声を無視し続ける事になってしまった結果だと解釈する事も出来ると思いませんか?

だから、真面目で、素直な、良い子ほど深刻に抱え込むことになる。
だって、社会の声を素直に、真剣に受け取ったら…
絶対に壊れますよ…人間。


社会の声=大衆の声 じゃないですか
社会の期待=大衆の期待 じゃないですか。

そして、大衆の声とは
「私は傷つきたくない、貴方が傷ついているかどうかは知らない」

大衆の期待とは
「私が生きやすい社会を期待する。」

それが、とんでもない人数居る訳です。


人にやさしくしましょう って言葉を
・優しくするとはどういうことか
 ・おばあさんに席を譲る事がやさしさなのか
 ・足腰を鍛える為に立っていてもらうのが優しさになる場合があるのか?
 ないのか?
 ・めっちゃくちゃ、独りを満喫したい系の方で、その時間を邪魔する可能
 性は無いのか? そうだとしてもすべきか?
  ・単に自分が座っていたい口実ではないか?
  ・逆に、おばあさんに座ってもらう「やさしい自分」に浸りたいだけで  
  はないか?
   ・仮にそうだったとしても、おばあさんが助かったならそれが一番で
   はないのか?
   ・実はそのおばあさん、小学校から社会人になり定年するまで人を虐
   め続けていた過去を持っていたらどうか?
   ・そのことと、自分が優しくあるかどうかと関係するのか?


とまぁ…こんなことをやる人はまずいない訳ですよ(笑)
単純にめんどくさいからね(笑)

ただ、何が言いたいのかというと
・おばあちゃんに元気で居て貰いたいから、ここはしっかり立って足腰鍛えて貰おう
・それはただ、自分が座ってたい口実でしょ? 席譲ります。
・いやいや、本人の意思が大事。まずは聞きなよ。そろそろ降りるので席座りますか?って
・その人…独り時間を謳歌してたりしない?大丈夫?それ邪魔してない?
・いやいや、孤独死の老人とかいるじゃん! 声かけてあげなよ!


これ全部、「やさしくする」に含まれるって事です。
つまり、大衆の声「人にやさしくしましょう」に従って実践しようとしたら
・独り時間を邪魔せず
・孤独を感じさせず
・相手の意志を確認し
・相手の健康状態、筋肉や骨の強度まで看破して

どんな対応をするか決めなきゃいけないって事です。
この条件から外れたら、誰かにとっては「優しくない人」になりますからね。

いや、もっともっと色んな考えの人が居ますから。
ここにない条件もマシマシで考えなきゃいけないかもしれない。

その上で、行動を選択しなきゃいけない。
社会の期待にこたえられるように…


ってそんなバカな話はない訳です。
そして、それやろうとしたら「自分に出来ないことを無理やり要請され、できなかったら罰則」っていう構造が出来上がる。

そりゃあ…ね…
しんどいですよね…
いや、ほんとしんどいんですよ。レジ打ちとか(笑)
(半分笑えないくらいには)
(真面目な人間にとっては過酷)


自分を殺すのは当たり前で、殺しても足りないんですから。
そんな世界で生きていける訳が無い。
いくら死んでも、死ぬしかない。


そんな訳でね。自分の欲求を誰かに委ねて「こいつ使えねーな」みたいな発想してる人は放っておいて、気楽に、肩の力を抜いて生きて行きましょうや。

まずは、私が実践してみせますんで。

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