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女の子

 地元に帰って、新学期に備えていつもの美容室でカットと縮毛矯正をしてもらった。去年の夏の終わりにショートカットにしてからは整える程度にしか切っていないので、今は顎下のボブにまで伸びた。

私はボブが嫌いだ。他の子がしているのはとっても可愛いと思う。自分がするボブが嫌いなだけ。

ボブって、私の中では一番女の子らしい髪型だ。どうしたって可愛い雰囲気になる。それがすごく嫌だった。

でも今回は、そんな不満も伝えて、流行りのぱつっとしたストレートボブにしてもらったので、可愛らしさが軽減された気がする。縮毛矯正も当ててさらっさら。縮毛矯正は値段は高いけど、QOLの向上に欠かせないと思っている。美容師さんにアドバイスしてもらった通り、少し外はね気味でアイロンを通して、なるべく丸みを抑える。我ながらいい感じだ。


 私はここ数年、自分は女の子であることが嫌なんだと思い続けていた。でもそれは少し違っていて、女の子であるという事実は何の問題もないのだけど、他人から当てはめられた女の子が嫌なんだと気付いた。

予備校に通っていた頃、私は友達を作る気がなくて、浪人生が楽しんだらだめだと思っていて、その結果あまり喋らない人になっていた。私のイメージでは、近寄りがたい孤高を貫いている人になったつもりだった。(それもどうかと思うんだけど)

でも実際は、大人しい可愛い子というレッテルを貼られていた。ここでいう「可愛い」は、橋本環奈さんに言う「可愛い」ではなくて、小さな子供や動物に対して女子が使う「可愛い」だ。背の低い人はこの意味がよく分かるんじゃないかと思う。

服装をカジュアルにしてみたり、オーバーサイズを選んだり。でも一番私らしいと言われたのは、ベージュと白のボーダーTにベージュのスカートのサロペットを合わせた、私の中でその時一番女の子らしい服装だった。


 時は過ぎて、私は今大学生な訳で、バイト先やボランティア先など、大人と接する時に社交辞令的に聞かれることがある。それは「就職は地元に戻るの?」という質問。これに私は「帰らない」と答えるのだけど、本当に毎回驚かれる。(驚かれることに驚いている)

これは地方特有なのかもしれない。何となく、地方から東京に限らずともどこか栄えた場所に行くことはハードルが高く見えるのだ。みんな中高生になると地元の田舎さに文句を言い始めるのに、結局は進学も就職も地元に居続けたりする。

そしてここにも、私が「女の子」であるがために驚かれている感が漂っている。そんなことないよと思うかもしれないけれど、やっぱり女の子が独り立ちすることと男の子が独り立ちすることとでは、違って見えてしまうのだと思う。それを肌で感じることが多くなって、多様性が謳われる時代に取り残された気になる。

バイト先のおばさんには「○○ちゃんはふわふわして見えるのに、一人で旅行行ったり地元帰らんかったり意外と芯があるね」と言われた。「ふわふわ」なんて女の子の代表格みたいな言葉に自分が当てはまっていることが、たまらなく嫌だった。


 男性には男性の苦労があって、女性の苦労と比べることはもちろんできない。私個人としては、女の人の中には自分が女であることを武器にしている人が多いと思っているから、そう見えない男性を尊敬している。(男性側からどう見えているのか気になるところ)

私はスカートも好きだし、ガーリーな服もたまには悪くないと思うし、橋本環奈さんに向けられる「可愛い」を言われてみたいとも思う。

だから女の子が嫌なわけではない。

ただ、女を武器にしたくない。女で舐められたくはない。女で損をしたくない。

人に思われる女の子が嫌なだけ。

でも上手くいかなくて、ダボっとしたパンツにオーバーTで小さな抵抗をしながら毎日を過ごしている。



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