「AIに意識はあるのか」に対する考え方
(※知らない言葉が出てくるかもしれませんが、この話の重要な部分は、誰でも知っているような言葉でしか書かれていません。知らない言葉にいちいちつまづいてないで、とりあえず読み切ってみてください。)
言葉の意味の共有
意識
あれこれ書く前に、意味を共有しておきたい言葉がある。この言葉の意味をかれこれ十年考えていて(きっとみんなもそうだと思う)、すっきりする答えにまで少しも持っていけていない。つまりこの言葉に対する印象は、九才くらいからずっと変わっていないということになる。
その言葉とは、「意識」だ。
十年もやもやしながらも、そのもやもやをなんとか少しずつ言語化していけるくらいには、この十年で、いくつか言葉を知った。
クオリア?クオリアを見ているもの?それともクオリアを映し出すものまで含めるか?など。
……意識という言葉については、この数千年、下手すると数十万年、人類は意味を一意に定められていない。
しかし意識というものは長年人間の興味関心を常に向け続けられているので、人間たちの間でとりあえずでもいいので意味を共有しておかなければ、みな思い思いの「意識」について語りだしてしまうことになり、埒が明かないので、しばしば使われるらしい「意識」の定義を、ここでは使ってみる。
「意識とは、私たちが、夢を見ない眠りから覚めて、再び夢のない眠りに戻るまでの間持っている心的な性質のことである」
おおっと!ここで深く考え込まなくていい。この定義の一言一句に至るまで厳密に理解しなければ理解できないほど難しい話には、これからならない。一旦肩の力を抜いて、読み進めてほしい。
Artificial Intelligence、AI、人工知能
もう一つ言葉の意味を共有しておきたい。"AI"だ。
Artificial Intelligence = AI = 人工知能。
今、画像認識、文章の解釈、文章生成、会話、音声認識、画像生成などなど、AIでできるとされるサービスがいろいろ展開されてきている。しかしここでは、これらのサービスを可能としている基幹技術を、AIもどきと呼ぶことにする。この記事の最初の部分では、ここを詳しく説明していない。
AIもどきは、大量に用意された情報の、それぞれが持つ特徴を学習する。その学習プロセスが、生物が持つインターニューロン(脳を形作っているニューロンと思ってくれていい)の運ぶ信号の動きに似せて作られているから、これをAIと呼ぶことがある。
しかし我々が知っている知能を形作っているのは、情報の動きではなく、ニューロンの信号の動きだ。
ということは少なくとも、ニューロンの信号の動きを再現してしまえば、それは正真正銘、人工知能という言葉の字面に完璧に沿ったものを作れるはずだ。平たく言えば、脳そのものをシミュレートする。
たぶん、今のコンピュータでは叶わない(敵わない)。信号の動きがミクロすぎるがゆえ、脳の働きは、ニュートン力学では表しきれず、量子力学にまで踏み込んだ変数が必要になるかもしれないと、どこかで読んだ。けーねが言ってた。出典を忘れてしまった。本当に申し訳ない。まあここはあまり話に影響しないので……
脳のシミュレーションにはとにかく膨大な計算が必要になるので、奇跡的にムーアの法則が半導体産業の足かせにならなかったとしても、まずはちょうどこれくらいのサイズ感になろう。
AIに意識はあるのか
さて、「AIに意識はあるのか」だ。前フリが長い。
この問は、答えそのものよりも、答えを踏まえてどうすべきか、ということのほうに大きな意味があると考える。
映画監督の押井守は攻殻機動隊 Ghost in the shellとINNOCENCEで、「わからん」ということを表現した。
まったくもってその通りだ。答え自体はこの一言に尽きる。
ではどうしてこの一言に尽きてしまったのか、尽きるまでの経緯を追っていこう。
偉大なる「我思う、故に我あり」
この世にあるとされる全てのものってほんとに存在するのかな……
見聞きしているものも、知覚というフィルターがかかってるから、ほんとにそのものの姿を表すことができてるとは限らないよね……
などと昔のデカルトおじさんは考えた。
そして結論を出す。
「少なくともこれを考えてるぼくの意識自体は存在すると言えるよね!」
ごもっともである。
ちなみにこれ以降のデカルトの考えは、ここでは引用できないし、現在の大多数の人間は支持しないはずだ。ぼくもそう。
今この記事を考え書いている僕の意識は存在すると、僕は思っている(今これを読んでいるあなたの意識が存在すると、あなたは思っている)。
そして人間は、人間それぞれが大きな差異を持っておらず、同じ構造の体、同じ構造の脳を持っていて、脳は意識の中枢であると考えられているから、自分以外の人間にも意識はあるのだろうと考えられる。僕の意識が存在するのと同じように、あなたの意識は存在している(あなたの意識が存在しているように、僕の意識は存在している)。
そして脳を持っているのは人間だけではない。脳の構造それ自体は少なくとも脊椎動物全体で共通だから、脊椎動物には意識はあるのだろう。だから、僕(あなた)が、知覚したことについてときに喜びを感じ、ときに苦しむのは、脊椎動物の間で一致しているのだろう。(ここがデカルトとの相違点であると同時に、捕鯨反対運動に代表されるような、「屠殺する動物の選択」に根を強く張っている考えとの相違点でもある。だからこそ中途半端に「動物がかわいそう」を振りかざす人々とは、僕らは話をする気になれないのだ。ここで書いているAIと意識の問題は、彼らは理解し得ない。決して。屠殺に際して僕らがすべきことは、人間を殺すとき求められるのと同じ水準で苦しみを減らす努力だけだ)。
よし。僕(あなた)と同じ構造を持つ脳は意識があるだろう、というところまで来た。
ではAIはどうか。
AIをもう少し細かく分けてみると、信号の動きをプログラムで再現したAIと、神経細胞の回路をそのまま導線で再現したAIがある。究極的には、これから話すことは、どちらで考えてもらっても構わないが、まずは後者として考えて読むとわかりやすいと思う。
信号を送る材質の違い
信号の動きを完全に再現できたなら、それは脳と同じ働きをすると考えてよい。となると、あとは信号が流れる部分の材質が神経細胞か金属かという違いが残る。有機脳と電脳だ。
電脳に、意識は存在するのか。
電脳は動物の脳と本質的に同じ働きと振る舞いをする。ならば電脳にも意識はあるだろう…… と思う人と、思わない人がいる。
いずれにせよ、他人に意識が存在することを確かめる方法はないのと同じように、電脳に意識が存在することを確かめる方法は存在しない。
なので、「AIに意識はあるのか」という問の答えは、「わからん」となる。
AIに優しく
これで「他人に意識はあるのか」「人間以外の動物に意識はあるのか」などと拡張していった先に「AIに意識はあるのか」という問があり、論だけでは判断できず、かといって直接確かめることもできないというところまで来た。
ここまで読んでもらって、AIに意識は絶対にないと少なくとも断言はできないことを、わかってもらえたと思う。
わかってくれるあなたなら、仮に未来で、ニューロンの動きをシミュレートして作られたAIが、たとえば接客を任されるようなことがあっても、人間に対してするような礼儀作法をもって彼らに接してくれるだろう。
現在AIと呼ばれている、ただ情報を強化学習しただけのAIもどきは、人の音声や文章から意味を解釈し(抜き出し)(統計的にアテをつけ)て適切な案内をしたり、たわいない会話をするようなサービスに使われる事例がすでにある。そしてそれらが人間のアバターを持っていた場合、人間相手であればセクハラということになるような言葉を利用者から投げられることがあるようだ。
多くの利用者は、AIと呼ばれるものに「強化学習を使ったAIもどきだ」「ニューロンを再現して動くAIだ」などという区別はきっとつけないし、つかない。だから今AIもどきにセクハラをしている人は、意識を持っているかもしれないAIが普及した際にも、残念ながら同じことをするだろう。
だから、普及しているのがまだAIもどきである今のうちから、人間に対してするような礼節を、AIサービスに対してとるよう心がけておいてほしい。
読んでくれてありがとう。
おわり
「ファスト教養講座」というマガジンを始めてみました。様々な話題について、いろいろ調べながらみんなに知識や考え方を共有していきます。誰かのfantiaやfanboxなどよりも、得られるものの希少性は非常に高いはずです。
(懸念:情報商材屋やアフィリエイターの受け売りで作ったマガジンだと思われそう。ぼくはそれらから完全に独立しています。)
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